ことばの歴史

アリのことばからインターネットのことばまで

A History of Language

スティーヴン・ロジャー・フィッシャー / 研究社 / 2001/07/10

★★★

基本的な事柄を押さえた概説書

 著者はポリネシア言語文化研究所所長で、未解読文字研究の第一人者らしい。本書は動物のコミュニケーションから始まって、地球上の諸言語の変遷について基本的な流れを説明し、言語学の歴史を紹介し、社会と言語と関わりを説き、言語の未来に思いをはせるという入門書。「はじめに」によると、「大学や専門学校で、言語学入門とか言語学概論といった講座を受ける前に、予習として読むのに最適な一冊である」とのこと。動物のコミュニケーションの項ではかなり新しい知見を取り入れて冷静に論じているので、言語学の部分も信頼が置けるのだろうと思われる。

 著者の専門分野を反映してか、言語に対して「文化相対的」でありながら、一般的な意味で「リベラル」ではない態度が興味深い。特に最後の2章には著者の主張が強く反映されていて刺激的である。第7章「社会と言語」は、「ら抜き言葉」とか「カタカナ語の氾濫」とか「若者ことば」を嘆く人々にとって、自分の観点を相対化する手がかりとなるのではないかと思う(『日本語ウォッチング』の項も参照。)。

 最終章の「言語の未来」では、インターネットの普及に伴い、遠い未来においては地球上の全人口が英語を第一言語として使用することになると予想している。絶滅した言語の専門家である著者のこの見方にはなかなか重みがある。304ページから引用。文章が混乱しているのは翻訳のせいだろう。

スカンディナヴィア、オランダ、シンガポール、その他世界のいくつかの地域は、まもなく全世界に広まると思われる言語状況を先取りしている。つまり土地の(都会の)言語と英語を話す二言語使用の成人がいるのである。今後、おそらく二十四世紀の後半には、英語だけが世界でただ一つの現用言語として、その手話とともに残るだろう。しかし、そのようなグローバルな予測はたいてい無効なことは、歴史が教えている。もしかしたら現在の流れにかかわらず、ドイツ語や日本語がこれから二百年の間に地球の優勢言語になるかもしれない。現在、話者の数が多いことで、標準中国語、スペイン語、英語のわずか三言語(その手話も含む)が、これから三百年は生き残るだろう。それでも、もっと小さくて豊かな社会(たとえば日本、ドイツ語を話す国々、フランス、イタリアなど)は、文化的な理由で、今後数百年の間、その言語を母語のなごりとして持ち続けられるだろう。また、ラテン語のように、アラビア語とヘブライ語は、主に宗教的な理由から、今後何世紀もことばや手話で話し続けられるだろう。

 いずれにせよ、世界で話される言語の数が減少し、英語がインターネット上での標準言語になるということは疑いえない。著者はこれらの趨勢に対抗しようとする「多文化主義」に概して冷淡であり、第7章で表明されている「政治的正しさ」に対する反感(日本でいえば「差別語狩り」に対する反感)も含めて、一般的な意味でのリベラリズムに真っ向から対立している(この手のものの一例は『インターネットで日本語はどうなるか』)。そして、地球上の全人口が1つの言語を話している状況にポジティブな面を見ようとする。IT革命のエヴァンジェリストの楽観的な主張みたいな感じもするが、言語学者にもこういうことを言う人がいるということで。

 バリー・レヴィンソン製作、ジョー・ダンテ監督のTVムービー『セカンド・インパクト』は、近未来のアメリカを舞台に、上の引用文にある中国語、スペイン語、英語の3つの言語の緊張関係が生じる世界を描いている。非常にひねったストーリーなので、このような紹介のしかたから推測できるような進展にはぜんぜんならないのだが、ロサンジェルスではメキシコ出身者が市長になってスペイン語で演説し、連邦議会では中国人と黒人の議員の間で行われる議論に通訳が必要になっていて、ロードアイランド州から派遣されてきた州兵の中国人士官は英語を喋れない。1990年代前半のアメリカの危機感を反映した物語ではある。この頃、アメリカでは保守的な人々の間で、英語を守ろうという趣旨の運動がはやった。

 小渕首相の諮問機関が英語を第二公用語にするという提案をして物議をかもしたことがあったが(『あえて英語公用論』の項を参照)、これに反感を抱いた人のなかには、日本語がなくなるかもしれないという怖れを抱いた人もいるかもしれない。本書の内容を踏まえて言えば、音韻上の変化などの内発的な変化や、外来語の影響といった言葉の変化と、優勢な言語への置き換わりは、まったく別のものである。つまり、上にも書いた「若者の言葉遣い」や「カタカナ言葉の氾濫」などは、言語が被るごく自然な変化であり、これまでの日本語もそういう変化につねにさらされてきた。一方、優勢な言語への置き換わりは上記引用文にあるように世代交代によって起こる。日本の例では、日本語と英語の両方が使える両親が、自分たちの子供の未来を経済的合理性に照らし合わせて考えて、この子には英語を第一言語として教えようと思ったときに起こるのである。このようなタイムフレームで考えた場合には、英語ではなく標準中国語への置き換わりが起こる可能性もないわけではない。

 そういうわけで、日本語がなくならないようにするための有効な手だてはただ1つ。日本という国の政治経済的なパワーを拡大維持することである。

 なお、同じ時期に読んだ『自然科学としての言語学』は生成文法の現状のレポートで、『ことばはどこで育つか』は言語能力の生物学的基盤に関連する研究のレビュー。

2001/7/26

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