ことばはどこで育つか

藤永保 / 大修館書店 / 2001/02/20

★★★★★

網羅的なレビュー

 著者は発達心理学を専門とする心理学者。本書は、言語能力の生物学的基盤についての研究のレビュー。霊長類の言語使用(『限りなく人類に近い隣人が教えてくれたこと』など)、カスパー・ハウザーに代表される「野生児」の事例とそこから出てくる言語能力獲得の「臨界期」の概念(『失語の国のオペラ指揮者』)、言語サヴァンなどの幅広い分野の研究を扱っている。そして、言語能力の生物学的基盤について論じるのであるから、これらの研究をもとにもっぱら生成文法(『自然科学としての言語学』)の仮説を検証するという骨組みになっている。これは非常に良い本だった。

 基本的には、言語能力の生物学的基盤があるのは当たり前だが、生成文法のベースにある仮説は非常にハードコアなものなので、もう少し緩めてもいいんじゃない、という感じの路線。これには共感する。『考える脳・考えない脳』は、認識論のアプローチとしてのコネクショニズムの上に、言語能力などを司る古典的計算主義的な思考システムが乗っかっているというモデルを提示している。私は抽象的な概念モデルとしてはこれが正しいと思っている。実際、このモデルだと多くの事柄がきれいに説明できるのである。霊長類やその他の一部の動物が、人間の幼児のレベルの言語能力を持っているということは、それが基本的なニューラル・コンピュータとその上の原始的な計算システムで処理できる範囲であるということを意味している。一方、人間のみが持っているとされる高度なシンタックスは、このニューラル・コンピュータと計算システムの間での相互作用を通して、その両方が複雑化していく過程で獲得される。言語獲得の臨界期の概念で重要視される他人とのコミュニケーションとは、まさにこの相互作用を引き起こすトリガである。生成文法のモデルに引き付けて考えれば、人間の話す言語の基本的な制約(普遍文法)は、このニューラル・コンピュータの生物学的な仕組みの制約と、計算システムの持つ挙動の組み合わせである。

 このように考えると、多くの「生まれか育ちか」の論争はナンセンスであると思えてくる。また、いまでは人工知能研究の失敗のせいで、コンピュータが人間に似ていないことが重視されるが、未来においては、やはり人間は自分に似せてコンピュータを作ったのだ、と総括されるようになるとも思う。

2001/7/26

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