戦後民主主義のリハビリテーション

論壇でぼくは何を語ったか

大塚英志 / 角川書店 / 2001/07/15

薄い印象

 主に2000年以降に書かれた時事的なエッセイを集めたもの。副題にあるように、いわゆる「論壇誌」に掲載されたものばかりで、エッセイの内容はそのような「論壇誌」に自分が書くことの意味を巡ってのメタな思考に繰り返し回帰してくる。

 この人の本を読むのはほんとうに久しぶりで、吉本隆明の方に関心があって読んだ『だいたいでいいじゃない。』を除くと、最後に読んだのは1989年の『少女民俗学』だと思う。ということは、実際にはほとんど何も読んでいないということになりそうだ。でまあ、本書を読んで受けた印象は、上の世代に若者サブカルチャーをレクチャーして取り入り、下の世代にいまの若者はなっていないと説教し、同じ世代と馴れ合うというどうしようもないもの。

 個人的な話。私は、自分がそこそこサブカルチャーに接していると思っていたのだが、このところそう考えるのは間違いだという認識を得つつある。たとえばこのサイトで主に取り上げている海外ミステリ、アメリカ映画、ノンフィクションは、それぞれ微妙に異なる意味で、かつてはサブカルチャーとして分類されていたものだ。私はむしろこちらの方がカルチャーなんであると主張したものだったが、時代の変化のなかで本当にこれらがカルチャーになり、ふと気づくとサブカルチャーと言いうるようなものとの接触がとだえてしまっていた。ちなみに「こちらの方がカルチャーなんである」だが、たとえば20世紀文学として残るのはトマス・ピンチョンではなくトマス・ハリスである、20世紀映画として記憶されるのはゴダールではなくキャメロンである、というような言い方にはそこそこのリアリティが感じられるでしょう? かつてはこれが大胆な主張だったのである。

 そういうわけで、サブカルチャー評論は読んでも意味がわからなくなってしまった。本書は老人向けにサブカルチャーをレクチャーしている部分が多いので、なんとか読めはするのだが、基本的に「いまのサブカルチャーはよくわかりませんね」と言いながら老人の側にすりよる話なので刺激はない。「内面の肥大」とか「大きな物語を作る能力の欠如」とか「引用とコラージュで満足している」などの通り一遍の解説を読んでも役に立たないのである。私の直近のサブカルチャー接触事例は、発売されたばかりのプレイステーション2用のゲーム『ファイナルファンタジーX』だった(いちおうエンディングに到達)。これなんかは上の3つの表現がまさに当てはまるように思うし、それ以外にもいくつかの要素のせいでプレイするのが苦痛だったのだが、私にそういった苦痛を与えるこれらの要素は、現役のサブカルチャー世代にとっては、刺激の過飽和のせいで相対化されているのだろうと推測している。相対化ができていない私は、そういった刺激に直撃されて、生理的なダメージを受けるのだ。ちなみに『ファイナルファンタジーX』について言えば、「大きな物語を作る能力の欠如」と「引用とコラージュで満足している」については相対化ができており(ゲームというジャンルにはちょっとだけついて行っている)、「内面の肥大」については『ファイナルファンタジーVIII』という前準備があったから何とかなったが(それでもきつかったが)、しんどかったのは今回から入った音声のセリフ回しとスクリプト、そしてCGの発展のせいでリアリティが強くなったがゆえに欠陥が目立つようになったボディー・ランゲージ(表情を含む)だった。私にとってのサブカルチャーのわかりにくさは、テーマ的なものよりも、このような表現テクニックに対する生理的な拒絶によるところが大きいと思っている。これは『プロになるための文章術』の項に書いたことと同じことである。人々がいきなり道端で歌いだすのが不自然だから、または血を見るのが嫌だからという理由で、ミュージカル映画やホラー映画を生理的に拒否する人がいるが、これは慣れの問題だ。それを突き抜けたところに語るべきものがあるかどうかは、また別の問題なのだが。

 最後に本書の内容に触れる。著者は、最近の若者の「内面の肥大」は甚だしいといっておきながら、自分が論壇誌にエッセイを書くことの意味についてのメタ的な言い訳をしつづける。「引用とコラージュで満足している」といっているが、本書に収録されている文章は(おそらく時事的な評論という性質もあってのことだが)まさにそういう感じのものだ。「大きな物語を作る能力の欠如」といっているが、本書のタイトルにもなっている戦後民主主義のリハビリテーションについての大きな物語は構想すら提示できておらず、「内面の肥大」にも関連するが、自分がその戦後民主主義の恩恵を受けたから、ということ以外の根拠を示せないでいるように見える。こういうことが、自虐的ギャグとして意識されずに行われているらしいのが哀しい。

2001/7/26

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