不思議の国サウジアラビア

パラドクス・パラダイス

竹下節子 / 文藝春秋 / 2001/07/20

★★

ポテンシャルはあったのだが

 サウジアラビアに関する紹介。サウジアラビアに赴任した義弟(フランス人)の家に逗留するという形で、この国に短期間住んだときの体験をあれこれと書いている。どれほどの期間滞在したのかが定かでなく、ひょっとしたら1〜2週間かもしれない。いろいろと興味深い記述はあるものの、これは西洋人が日本の赤坂/六本木に住んでいる親戚の家に1〜2週間滞在し、もっぱらその周辺の外国人サークルの中で生活し、ときどき下町に足をのばして土着の人の生活を見た経験をもとに1冊の本を書いてしまった、というタイプの本かもしれないので要注意である。

 本書で一番興味深いのは、特権階級の女性から見たサウジアラビアという国のあり方だ。これに関しては確実に蒙を啓かれた。家の外では黒い上着(アバヤ)を着用し、頭や顔をヴェールで覆うことが義務づけられているサウジアラビアの女性たちは、自宅では思う存分おしゃれをしており、パーティーでは、普通の国では「コスチューム・プレイ」でしか使えないようなお姫様ドレスを着て楽しんでいる。このように、日本を含む先進諸国からは時代遅れに見える不自由さの背後に独特の自由があるというあり方が、副題の「パラドクス・パラダイス」の意味である。『笑われる日本人』という、アメリカ在住の日本人グループが『ニューヨーク・タイムズ』の日本報道の奇怪さを糾弾する本では、『ニューヨーク・タイムズ』の記者が日本の田舎にいって、そこらのおばさんから「夫から一度も「愛している」という言葉をかけられたことがない」という証言を引き出し、日本における女性の地位の低さを嘆いたという記事を紹介していたのだが、そういうコンテキストでの勘違いが、われわれのサウジアラビアに対する視線にも含まれている可能性がある、というわけだ。

 これらの「パラドクス」は、外に見せる公の顔とプライベートな空間での振る舞いの違いから生じているものが多い。上記の女性の振る舞いはその典型だが、その他にも宗教上の禁忌のいくつかが、家の中では平然と破られているという事例がいくつも紹介される。

 残念なことに、著者はもっぱらフランス人を中心とした外国人サークルの中で生活しており、サウジアラビア人の女性と接触してもそれはおそらく中上流階級の人たちである。したがって本書で描かれているサウジアラビア人女性の特性は、おそらくこの国の特権階級のもので、外国人サークルとの接点がない人々や外国人労働者たちの生活はまたまったく違ったものだろう。ところで、こういう執筆姿勢にかえって潔いものを感じたということを述べておかなくてはならない。往々にして外国ルポは、その土地の下層階級に「潜入」したがるものだが、本書の著者は自分自身と同じレベルと見なした人間にしか関心を持っていないのである。冒頭で赤坂/六本木の外国人と書いたのは、そういうことである。

 なお著者は、サウジアラビアのそうしたあり方から日本論を語る。その視点はヨーロッパ文化人のもので、要するにヨーロッパ文化人がアメリカという文化を1つの基準点としてサウジアラビアと日本という2つの野蛮な国を比較するという、かなり珍しい構図になっている。サウジアラビアの方がアメリカとヨーロッパの影響をうまく両立させているというような発想は興味深いのだが(それは要するに「フランス人」たる自分がサウジアラビアで居心地よく暮らせたということなんだろ、と突っ込みたくなるが)、抽象的な議論になると混乱しているように思われる。仮に現在のサウジアラビアの状況を日本と比較するのであれば、明治時代の士族とか、昭和以降の都市人口の増加と中上流階級の特権性のゆっくりとした消滅あたりが良い題材になると思われる。というか、普通に考えればそういう対比以外にはありえないはずなので(要するに資産の集中が緩和されていくプロセス)、それ以外の議論をするためには、まずこの論点を押さえてから批判するという手続きを踏むべきなのだと思う。これがなされていないから、思いつきの議論に見えてしまう。

2001/8/12

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