円の支配者

誰が日本経済を崩壊させたのか

リチャード・A・ウェルナー / 草思社 / 2001/05/14

★★★

陰謀本

 80年代末のバブルとその崩壊、そしてそれに続く平成不況は、すべて日銀が仕組んだものであるとする陰謀論。なぜそんなことをしたかというと、大蔵官僚からの独立性を勝ち取り、いわゆる「構造改革」を進行させて自由市場経済を実現させるためである。

 日銀が90年代の日本経済に与えたインパクトを批判する標準的な議論は、『日銀不況』のような「日銀無能説」と呼びうるタイプのものである。ここでは、日銀が流動性をちゃんと提供すればよいのに、むしろデフレ政策っぽいことをやっているので経済が回復しない、それは日銀がバカだからである、というタイプの議論が行われる。一方、これに対する日銀からの反論は、『目からウロコの日本経済論』のような「日銀無能力説」と呼びうるタイプのもので、現在の日本経済において、金融政策はもはや有効ではないと主張される。

 そして本書の陰謀論は「日銀全能説」と呼びうる。これはユダヤ陰謀説に似た構造になっていて、どこかの全能の黒幕が、自分に都合がいいように世界を操作しているとする。本書の終わりの方になると、日銀だけでなく、アジアやアメリカの中央銀行たちが連係してグローバルな経済を操っていると示唆していて、半信半疑で読み進めてきた読者の胸のうちにもさすがに疑念が生じてくるだろうと思われるけれども、日本に限った場合、たしかに本書は、日銀が悪いことを企てているという陰謀説が出てくる根拠をしっかりとカバーしている思われる。それはつまり、日銀が、80年代末のバブル経済とその崩壊において果たした役割に見合った責任をとっていないように見えるということだ。あのバブルの原因を論じる大まかな流れとしては、マクロな金利政策とグローバルなマネーの流れから論じるやり方と、銀行のミクロな行動から論じるやり方(『不良債権の正体』が面白い)の2つがあり、前者については日銀が大蔵省の統制下にあったということからいちおうは免罪できても、後者については、銀行に過剰貸し付けを行わせた実行部隊は、本書で主張されているように日銀に他ならなかった。しかし、バブルが崩壊していく過程での日銀の言動とポリシーには、この事情の十分な説明がなく、うまく責任逃れをした印象がある。この印象をベースに、前後の日銀関係者たちの言動をつなぎあわせると、それらがすべて仕組んだものだったのだという陰謀説ができあがるわけだ。

 一般人である私には、日銀の「無能説」と「無能力説」と「陰謀説」のどれが正しいのかわからないのだが、過剰貸し付けの原因となった窓口規制は90年代にはそれほど有効に機能していなかったはずなので、90年代の景気循環がコントロールされたものであるという議論には信憑性がないと感じられる。その他、少しばかり調べてみて得た知識を簡単にまとめると、(1) 著者のモデルは90年代末ごろから日本経済を説明できなくなっている、(2) 著者は業界関係者からはかなりの変人と思われているらしい、(3) 日銀の人はこれを読んで笑ってる、とのこと。そういうわけで少なくとも本書の陰謀説は、最後まで読み終えての印象のとおりに妄想である可能性が高い(少なくとも90年代不況を説明する部分は)。

 ところで私がいままでにリアルタイムで「これは陰謀説だな」と思って軽視していたのが、後に正しかったと判明して驚愕したケースとして、すぐに思いつくものが2つある。広瀬隆の『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』のアメリカ中西部の核実験とハリウッド・スターたちの癌死の因果関係と、オウム真理教の一連の犯罪に関連する話である。『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』に限らず、広瀬隆の著作にはユダヤ陰謀説が色濃く反映された妄想が強く感じられるが、この核実験の話に限っていえば、どうやら表立ってはそんなに言われないけれども、「たぶんそうだろうな」という雰囲気が出来上がってきたようなのだ(たとえば『世界の環境危機地帯を往く』にはそれっぽい記述がある)。オウム真理教については、まだ真相が判明していない時期に、「そんなバカなことをする人間がいるとは思えない」という理由から、一連の騒動の主体がオウム真理教にあるという説を軽視していたのだが、その後判明した事実から彼らはそんなにも「バカ」だったということが明らかになっていることは周知のとおりである(それにしても誘拐の現場にバッジを落としていくか!?)。そういうわけで、陰謀説が語られる文体、著者の社会的ステータス、あるいは論理の辻褄などと、その陰謀説が当たっているかどうかは無関係であり、「主張している人が電波系に見えるから」という理由で、陰謀説そのものを却下するのはまずいことがあるという教訓が身に沁みたのだった(オウム真理教を早い時期から批判していた人々が変に見えたということではない。念のため)。これらはまた、「オッカムの剃刀」の原理がいかに当てにならないものかということの例証でもある。

2001/8/19

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