新世紀未来科学

金子隆一 / 八幡書店 / 2001/02/28

★★★★★

楽しい読み物

 未来の、または現在進行中の科学技術の進歩を、サイエンス・フィクションに使われた小道具と結び付けて紹介するという趣向の本。個々の章のタイトルと、そこでネタとして使われる小説のタイトルを列挙するだけで楽しい。

 たとえば第一章「宇宙開発」は、起動エレベータ(『楽園の泉』)、エキゾチック・プロパルジョン(『ロシュワールド』)、太陽系開発(『地球帝国』)、テラフォーミング(『レッド・マーズ』)、恒星間飛行(『宇宙のランデヴー』)、宇宙改造(『リングワールド』)という内容である。

 SFからずいぶんと遠ざかっている私だが、驚いたことに、本書で取り上げられる作品はほとんど読んでいた。著者の好みがそういうところにあるのか、80年代ぐらいまでに基本的なものは出揃っていたということなのかわからないが、私と似たような境遇の人にもこれはお勧めである。新しめの発想はナノテクノロジーぐらいのもので、そこで取り上げられている『無限アセンブラ』はたまたま読んでいる。

 本書で紹介されるSFは、その性質上、ほとんどは私が「楽天的バカ・ハードSF」と呼んでいたような部類の小説である。これに関連するかもしれない話。いわゆる「学力低下論争」(『論争・学力崩壊』など)に絡んで、学力低下論者にシンパシーを感じている友人と話をしていて、いわゆる「理系的学問」の知識レベルの低下が、「科学技術の未来に夢がない」ことに起因しているのではないかという説がある、という話が出てきた。具体的には、バイオテクノロジーの進歩によって、人間の経済格差がモロに寿命を左右するようになるという未来像が暗いため、科学技術の未来そのものに夢が持てなくなっているという話らしい。でまあ、これはその友人と一致するのだが、科学技術の未来は昔と比べてはるかに明るくなっているというのが私個人の印象なのだ。私が1980年代頃までに読んできた、SFに限らず未来を描いたフィクションには、終末論的な陰気なものが非常に多く、2001年のいまから振り返ると人類は危機を何度となくくぐり抜けて生き残っているから、未来もそう悪いもんじゃないという風に思えるのである(超楽観的な未来論としては『スピリチュアル・マシーン』『サイエンス21』など。これらほどは楽観的ではないにしても)。この食い違いが生じる原因はいくつか考えられるのだが、その1つは、その人たちは陰気なSFを読まずに生きてきたんじゃないか、ということだ。

 物凄く単純化して言えば、世の中には「アーサー・C・クラークが好きです」という人と、「スタニスラフ・レムが好きです」という人がいて、とうぜんながら前者の方が科学者になりやすいと思われる。そういう人たちが、いわゆる「学力低下論者」をやっているんじゃないかという疑いがある。クラークの小説が「文芸的に素朴で楽天的に過ぎる」と思っていた人たちが、科学哲学を専攻したりディレッタントになって社会にあまり貢献しないまま生きているとすれば、結果的にはやっぱりクラークとそのファンの方が「正しい生き方」をしているということは認めよう。いずれにせよ、未来観と学力低下観の違いが生じる原因の1つがわかったような気がした(なお『レッド・マーズ』は、そういう素朴な科学者を100人集めて火星に送り込んだら大変なことになったという話である)。

 その友人とは80年代以降の日本のSF(翻訳ものを含む)のマーケットが急速に劣化しているという認識も共有しており、日本製のものがだめなのはSFに限ったことではないが、翻訳ものについても、翻訳出版されるものが劣化した日本のマーケットと相即するように偏っているということらしい。たしかに身のまわりにも、以前はSFファンだったが読むのをやめたという人が少なくなく、残るのはペリー・ローダン・シリーズを喜んで読むような人ばかりという印象はある(まあ私も日本語版換算で100巻以上は読んでいるが。そればかりかアトラン・シリーズにもちょっとばかし手を出した)。その人たちが移った先のミステリも、ここしばらく衰弱の兆しが見えるような気がしてならない。日本製のものはひどく(読むに耐えるのは高村薫だけか?)、翻訳ものにしてもトマス・ペリー(『Blood Money』)やリチャード・ノース・パタースン(『Protect and Defend』など)の新作が出版されないという状況がある。業界事情はわからないが、一消費者として哀しい未来を予感しているということで。

2001/8/19

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