文学部をめぐる病い

教養主義・ナチス・旧制高校

高田里恵子 / 松籟社 / 2001/06/18

★★★★★

ちょっと下品だが猛烈に面白い

 宝島社とかのムックに「評論家相姦図」みたいな企画が載ることがあるけれども、本書はそういうことを主に1930〜40年代前後のドイツ文学者たちに対して行っている本である。戦後のトピックもあるけれども、あくまでもドイツ文学者が中心。マニアックである。そういうムックに特有の下品さもちゃんと備えているが、著者のユーモアのセンスがしっかりしているので、たとえば最近読んだメタ評論の『クラシック批評こてんぱん』よりはずっとマシ。著者はやっぱりドイツ文学者で、酒の上でのネタの裏づけを偏執狂的に探してきたという印象がなきにしもあらず。

 と紹介すると、文学部ドイツ語科関係者以外にはまったく用のない本のように思えるかもしれないが、一般人の興味を惹くようなトピックはちゃんと含まれている。まず、戦争中にドイツ文学者たちがナチス文学との関係を通してどのような態度をとったかという問題がある。特に焦点を当てられているのは(また著者のお気に入りであると思われるのが)、戦時中に大政翼賛会の文化部長となった高橋健二である。著者の視点は「ポスト・ポスト・モダニズム」と呼ぶべきか、戦争協力者に対する単純な批判と、それに対する反批判を通過した後という感じがして、個人的にはかなり共感できるスタンスだった。次に教養主義。英語がグローバルな言語になるかと言われている現在では隔世の感があるけれども、ドイツ語とドイツ文学のステータスが相対的に高かった時代がかつてはあった。そして20世紀初頭から太平洋戦争までの間には、この「教養主義」が2回、その形を変えて流行したのだけれども、そのどちらにおいてもドイツ文学は大きな役割を果たしていた。とうぜんながら、ドイツ文学者もそれに密接な形で関係していた。これに関連して、大学の文学部の教師がジャーナリズムの世界で活躍するという、いまとなってはありふれた現象が、この時期にいかにして誕生したかが論じられる。簡単に述べれば、知識の大衆化に伴ってニーズが発生し、大学は閉じたサークルではなくなったということになる。

 著者はあまり明確には述べないけれども、とうぜんながらここには現代的なテーマが含まれている。1990年代に入ってからの日本社会の変化は急激なもので、高度成長期後期からバブル経済までを大正デモクラシー、その後の不況を1930年代になぞらえたくなるのは私だけではないだろう。政治・経済の趨勢についてはこの読書メモの他の項に任せるとして、本書を読んでいてとりわけ関心を惹かれたのは、文化を巡る言説の変遷だった。たとえば「教養」の観念は、バブル期と現在ではずいぶんと変わってきているように思われるのだが、本書で取り上げられている2回の教養主義の特性についての議論には、現在の状況とパラレルな部分がある。また、ドイツ文学者であったが故にナチズムを紹介せざるをえなくなり、したがって能動的な戦争協力者になりがちだったという状況は、いまで言えばアメリカ流の経済学を輸入している経済学者であるがゆえに、ニュー・エコノミーを称賛せねばならず、アメリカの対テロリストの戦争も支持しなくてはならないというような不自由さを連想させる。

 その他、「学校小説としての『ビルマの竪琴』」は、『ビルマの竪琴』(著者の竹山道雄はドイツ文学者、ドイツ語教師)を、高学歴者が大日本帝国陸軍で味わった苦労から隔絶した、おとぎ話としての「学校小説」として論じているなかなか興味深い文芸評論。「『車輪の下』、あるいは男の証明」は、現代の「やおい小説」につらなるホモセクシャルな寄宿学校ものの土壌が、この時期の高学歴者の間にあったという話。「中野孝次、カフカから清貧へ」は、本書のキーワードの1つである「二流」の男、すなわちクリエイターとなれない「文学者」という存在をめぐる苦悩と中年の危機を論じる、ちょっといじわるな論考。いずれも非常によく書けていて、中野孝次の章はちょっと残酷に過ぎると思ったものの、その他はかなり納得できる内容の文芸評論だった。しかし、こういうのがうまく書けていれば書けているほど、本書の著者が本書でいう「二流」であるという印象が強まる。まあ著者はこれを十分に自覚している。

 なお、本書の特筆すべき点の1つは、著者が女性であり、上に紹介したさまざまなテーマ、特に文学部、軍隊、寄宿学校などに関連する部分が「男の世界」であるということを指摘しておきながら、フェミニズム的な突っ込みをあえて抑えているところである。この点も「ポスト・ポスト・モダニズム」のいい感じだ。つうか、この人「やおい小説」ファンの「耽美派」で、そういう観点からドイツ文学の先輩たちの人生を眺めているという感じがなきにしもあらず。本書は辛辣でありながらも、ものすごく愛情のこもった本で、その愛情のこもり方がどこか尋常でない。若き日のドイツ文学者たちが、下宿で酒を呑みながら文学談義をしている様子をビジュアルに思い描いて「高橋さま萌え」とか言ってるんじゃなかろうか。学術論文と翻訳書しか出していないようだが、今後は要注目。

2001/9/30

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