《猿の惑星》 隠された真実

Planet of the Apes as American Myth: Race, Politics, and Popular Culture

エリック・グリーン / 扶桑社 / 2001/08/30

★★★★

まあ興味深いが

 映画『猿の惑星』はピエール・ブールの原作をもとにしているものの、1968年に公開された最初の作品『猿の惑星』から始まる5連作は、当時のアメリカにおける人種間の緊張を反映した政治色の強い映画だったという観点から、その兆候を読み取っていくという社会派映画評論。私は5本の映画とティム・バートンによるリメイク(『PLANET OF THE APES/猿の惑星』は見ているが、TVシリーズとアニメーションは見ていない。本書は1996年に書かれたものなので、ティム・バートン版についての言及はない。

 私は映画からそのようなメッセージを読み取るという態度があまり好きでないので、本書の「テキスト批評」とでも呼びうるような部分は少ししんどかったが(ただしマシな部類に入る)、製作がらみのエピソードはそれなりに興味深かった。いまの私はそういう「舞台裏」っぽい話にもあまり関心を持てないでいるのだが、これぐらい重要なトピックならば仕方がないという感じだ。要するに『猿の惑星』の類人猿はアメリカの黒人だということだが、それ以降の続篇のスタンスが社会情勢を反映して微妙に変わっていったという話は目新しかった。ワッツ暴動やスクールバス騒動を明らかに連想させるシーンなどと言われると、なるほどと思う。私がこれらの映画を見たのは子供のときで、それ以来再見しておらず、もう一度見直してみたいとは思った。

 ティム・バートン版のリメイク(リイマジネーションと呼ばれているが)は、そのおちゃらけた雰囲気がおおむね不評だったようだが、本書でも1970年代の「ブラックポイテーション」の1つとして言及されている『黒いジャガー』のリメイクの『シャフト』を見比べてみると、ティム・バートン版は1つの安全な選択肢だったという結論になるのではなかろうか。要するに「ブラック・パワー」のムーブメントは終了し、(ハリウッド映画以外のジャンルで顕著だが)エンタテインメント業界のマーケット・セグメントの1つとしてソフト・ランディングしてしまったのである。その点で、やはりサミュエル・L・ジャクソンが主演している『187』が示唆するところは大きい。この暴力学園ものの映画では、最下層に位置するヒスパニックの生徒たちを監督する教師をサミュエル・L・ジャクソンが演じている(ちなみに『シャフト』においても、悪者(の1人)はヒスパニックのギャングスターだった。ただそれをアフリカ系アメリカ人でもあるはずのジェフリー・ライトが演じていたのが興味深いのだが、詳しくは各作品の項を参照)。現実のアメリカにおける人種問題がどういう状況になっているかどうかをひとまず措いて、少なくともサミュエル・L・ジャクソンは『ディープ・ブルー』において大富豪の役を演じるような大スターの地位を獲得しているわけで、その彼が『シャフト』のような1970年代の亡霊をなんのひねりもなく演じると、肌の色とは関係なしに、単なる暴力刑事の物語になってしまうのである。

 そのような状況の21世紀冒頭において、『猿の惑星』をひねりなしにリメイクして、なおかつ『シャフト』のように時代遅れに見えないようにするのは非常に難しい作業だろう。1960年代後半のわかりやすい図式はすでになくなり、もはや類人猿の個々の種と人間に、個々の人種を当てはめるというような単純なメタファーは通用しなくなっている。むしろ1990年代に顕著となったのは「アメリカとそれ以外の国」の対立関係で、たとえば『インデペンデンス・デイ』では白人の大統領と黒人のパイロットがともに主人公格として扱われて宇宙人を撃退するし、『ディープ・インパクト』では黒人の大統領がアメリカを救う。どちらの映画でも敵は宇宙からやってくるけれども、メタファーは「アメリカ人は肌の色を問わず一致団結して、アメリカ人以外の敵と戦う」というものだ。そればかりか、『プライベート・ライアン』あたりが引き金になったと思われる、1990年代後半の第二次世界大戦映画では、歴史の歪曲と言いたくなるような操作が頻繁に行われている(たとえば『U-571』では、潜水艦にコックとして乗りこんでいた黒人が操縦席に着く。このあたりについては『二次大戦下の「アメリカ民主主義」』が興味深い)。これはもちろん、そのようなメッセージがいまのアメリカ社会に必要とされているということを意味する(『戦争を記憶する』の項も参照)。

 アメリカ映画のコンテキストで言えば、オリジナルの『猿の惑星』で主役を演じたチャールトン・ヘストンに相当するような、「他民族を征伐する純粋な白人」のイメージを持つ役者がおらず、そのような役者が主役を演じる素朴な映画も作られなくなっているという事情がある。したがって、それらに対するアンチテーゼとしての『猿の惑星』を作ることも不可能であり、できるのはそのような状況が隠蔽している状況を明るみに出して笑い飛ばすというアプローチである。実際、ティム・バートン版で主役を演じるマーク・ウォールバーグは、サルっぽい顔をしているがゆえに人間とチンパンジー両方から愛されるという異種間結婚のテーマを提示するために起用されたのかと勘繰りたくなるほど、役者としての格は低い。

 ただ一つ気になるのは、チンパンジー役としてゲスト出演しているチャールトン・ヘストンの位置づけと、映画のストーリーが、NRAからの資金援助があってもおかしくないようなものになっていることだ。このことから、気の利いた映画評論の1本も書けそうな気がするが、興醒めなのでやめる。要するにこういう深読みは、あんまり面白くないということで。

 なお、本書を読むのなら、やはりオリジナルの『猿の惑星』シリーズ5本をすべて見てからにすることをお勧めする。楽しめるかどうかは保証しない。

2001/10/14

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