漢字と日本人

高島俊男 / 文藝春秋 / 2001/10/20

★★★★★

日本語の中の漢字を巡る興味深いお話

 著者の本は、これまでに『本が好き、悪口言うのはもっと好き』『ほめそやしたりクサしたり』『せがれの凋落』『お言葉ですが… (4)猿も休暇の巻』を取り上げている。後の方になるにつれてうっとうしくなってきているが、これは週刊文春という連載メディアのせいなのかもしれない。

 本書は、日本語と漢字の関係について解説する本。英語圏の読者を対象に書かれたものをベースにしているとのことで、随所で現代における日本語と英語の関係を引き合いに出して説明を行っており、非常にわかりやすい。漢字の「音」に複数のバージョンがあるのは、「ステッキ」と「スティック」、「グラス」と「ガラス」のようなものだと言われれば、なるほどと思うだろう(もっとも、原音の方が変わったケースもあるわけだが)。「ステッキ」という言葉ができた頃の日本人には「ティ」という発音ができなかった、というあたりの事情にも共通点がある。漢字の日本語への受容に関して解説した一般向けの本としては、群を抜いてわかりやすいと思う。

 その他、明治時代と太平洋戦争後の2回起こった「西洋語の受容」についての解説と、国語審議会や文字コードに関する議論がある。著者の基本的なスタンスは、他の本のエッセイでしばしば表明されているものと同じだが、本書を通して読むとその背後にあるロジックがよくわかる。要するにこの人は中国語学と中国文学を専門としているから、中途半端な漢学とか漢字遣いが嫌いなのである。英語上手を自認する人が「日本語を使うときは」外来語を嫌う、というようなのと同じ。

 いろいろなことを考えさせてくれる本ではあった。その1つ。よく外来語のカタカナ言葉について苦情を言う人がいるけれども、そういう人が往々にして和製漢語による言い換えを好ましいものと考えているのは、本書のロジックに沿っていえば滑稽なことである。そのような人は「漢字を使った造語は、イメージを伝えてくれるからわかりやすい」と「日本語の造語能力」を称賛するけれども、本書の著者はこのような態度を、明治時代以降に生じた、音から完全に離れた視覚指向の好ましくない傾向として批判するだろう。

 私はまた、「漢字にイメージが付いている」ことそのものが弊害になりうると考えている。新しい概念を導入しようとするとき、それに一対一に対応する日本語を割り振ることが難しいのはあたりまえだが、まったく新しい言葉を造語して、「この言葉はこの外国語の訳語なのです」と定義したとしても、その訳語が漢字から構成されていると、個々の漢字が原語から離れたイメージを付与することがある。専門家のコミュニティ内では、それが訳語であるという共通認識が浸透していても、そのコミュニティの外の人はまさに「漢字につきまとうイメージ」を手がかりにして言葉の意味を解釈しようとするから厄介なことが生じることがある。たとえば生物学のnatural selectionの「自然選択」という訳語は、「選択」という言葉の背後に、「誰かが能動的に選択を行う」というニュアンスが感じられて誤解を招くので、「自然淘汰」の方が良い、というような議論がある。あるいはコンピュータ技術の分野でのdevice。これはふつう「装置」と訳すが、その実体は単にディスク上のファイルでしかなかったりして、「装置」という日本語が持つ「かさばり感」からは乖離する(その乖離を敢えて無視することがまた、専門家コミュニティの仲間意識を育む装置として使われる。『日本語ウォッチング』の「アクセントの平板化」と似ている)。このような例は枚挙に暇がないので、私は基本的に、西洋発の新しい概念を導入するときには、そのままカタカナ化して日本語に取り入れるべきだという見解を持っている。無理にでも訳語を作った方がいいという見解には、それを新たに学ばなくてはならない人にとってのコストを軽減するという意図があるけれども、訳語の無理な部分が後々にもたらす意味のズレのコストの方が大きいと考えているのである。

 とまあ、いろんなことを考えるきっかけになった。関連のありそうな本。『英語発音は日本語でできる』は新たなカタカナ風の発音記号を提唱する本。本書の内容に絡めていえば、「中国語発音は日本語ではできなかった」ということになる。『電脳社会の日本語』は文字コードに関する細かい話。本書は、漢字の専門家にして文字コードの非専門家としての立場から書かれているが、文字コード・プロパーの議論をかいまみたい人は参照されたい。『中国の漢字問題』は、中国の簡体字推進派によるはなはだ教条的な議論。本書に言及されている国語審議会を初めとする日本語簡略化運動と重なり合うところがある。『日本語は生き残れるか』は、インターネットとグローバリゼーションの時代における日本語のあり方を、「経済言語学」という立場から考える本。

2001/10/28

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