知的複眼思考法

苅谷剛彦 / 講談社 / 1996/09/25

★★★

まあいいんじゃないでしょうか

 著者の苅谷剛彦は、『論争・学力崩壊』などの「学力低下問題論争」において、まっとうに見えることを書いている数少ない論者の1人。本書は1996年に出版された本だが、ロングセラーになっているようだ。"The Way to Insightful Thinking"という英語タイトルが付いている。

 世の中に流布しているステレオタイプにとらわれず、自分なりの考え方やものの見方を身に着けたいが、その方法がわからないという人のための、ものの考え方の指南書である。ほんとうにそういう悩みを持っている人には役立つかもしれない。ついでに『デモクラシーの論じ方』もサブテキストとして紹介しておく。

 本書ではステレオタイプ的なものの見方からいかに脱するか、ということについて、具体的な例をあげて、その方法論を述べている。そうやってステレオタイプ的なものの見方から脱すると、周りから見ると鬱陶しい人間になるので注意が必要です。あと、ステレオタイプ的なものの見方から脱していると称する議論は、個々の分野において、それこそステレオタイプと呼びたくなるぐらいたくさんあることを忘れないように。私は「実は違うんですよ本」と呼ぶことがある。

 個人的な関心はむしろ、ステレオタイプ的なものの見方が人間にどのような影響を与えるのかという方にある。ステレオタイプがステレオタイプであるのは、それに何らかの力があるからであり、その力は人間の振る舞いにとうぜん影響を与えている。この影響力は、本書で説いているような分析的アプローチでは軽視されやすい。というのも、このタイプのアプローチはつねにステレオタイプの唯物論的な反証を探し、しばしばそれを見つけた時点で終了するから。ステレオタイプが個々の人間に与えている影響は定量化できないので、相関分析の変数として導入することができず、だいたいは母集団全体に均一に作用しているもの、という感じの暗黙の仮定が立てられる。

 もう1つ注意しなくてはならないのは、ある考え方に(批判の目的で)ステレオタイプというラベルを付けるということそのものが、ステレオティピカルな行為の1つであるということである。というよりも、私は「Aはステレオタイプである(実状からは離れている)」という言い方そのものを、「Aというステレオタイプ」という現象の要素の1つであると考えた方がいいように思っている。たとえば著者の専門分野で、本書でもよく取り上げられている「受験競争が激化した」というステレオタイプは、「いや、受験競争は必ずしも激化していない」という言説との緊張関係のなかで、いっそうの注目を浴びるようになる。そういう緊張関係がない言説、たとえば「リンゴはほうっておくと木から落ちる」は、「いや、宙に舞うリンゴもある」というような言説がないため、単なる「あたりまえ」に収まる。緊張関係の中であえて「受験戦争が激化した」という論を採用する人がいる、ということが、そのステレオタイプの強力さなのである。

2001/11/4

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