韓国のイメージ

戦後日本人の隣国観

鄭大均 / 中央公論新社 / 1995/10/27

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 『日本(イルボン)のイメージ』は韓国における日本イメージを論じたものだったが、こちらは日本における韓国イメージを論じる姉妹書。本書の方が先に出版されている。『在日韓国人の終焉』と同様に在日韓国人についての言及もあるが、本書の焦点は(在日を含めた)韓国人よりも、韓国という国そのもののイメージに当てられている。

 副題にあるように、取り上げられているのは主に戦後の時期。連合軍による占領期の「三国人」のネガティブなイメージがそのまま韓国という国に投影された時期から、戦争と植民地化の反省をベースにした「謝罪」的な議論、躍進めざましい北朝鮮と対比された暗黒の軍事政権のイメージ、80年代以降の韓国文化に目を向ける視線、軍事政権を上からの民主化というような言葉でポジティブに評価する態度へのシフト、というのが大まかな流れになるだろうか。もちろんそれぞれの論の担い手は重なり合うこともそうでないこともある。

 『日本(イルボン)のイメージ』とは違って、こちらの主題にはなじみがあるので、整理のしかたが妥当であることがわかりやすい。戦後日本の朝鮮半島との関係を理解するための手引きとして優れている。

 東京都知事の石原慎太郎が「三国人」という言葉を使用したことをきっかけとする一連の議論のなかで(たとえば『ぼくたちが石原都知事を買えない四つの理由。』)、少なからずの人にとって、この言葉が初耳だったということが興味深かった。この言葉がメディアから消えたのは、時代が変わったという自然なプロセスというよりも、直接に、70年代頃からの徹底した差別用語狩りのせいである。差別用語狩りそのものについては賛否両論があるだろうが(私はどちらかといえば否定の方)、この石原慎太郎のケースで改めて思ったのは、言葉は歴史を担っているというのは本当だということだった。50年近くが経って、石原慎太郎のような焼跡世代の人々が、なぜ在日コリアンに反感を抱いているのかを改めて説明しなくてはならなくなっているわけだ。その説明があって本当に良かったと思う。というのも、そういう態度の背後には時代特殊的な(また現代に生きる若者にとっては無関係な)事情があるということがわからないまま、反感が何となく共有されるという事態は怖い。

 オウム真理教がダメージ・コントロールの手段として「アレフ」に名称を変更したことはうまい手口だと思う。いまから50年後、老人たちがアレフに抱いている反感を、若い世代は理解できなくなっているだろう(また似たようなことをやらかしていない限り)。「いや、あれは大変な事件だったんだ」、「連日、新聞の一面に載ったんだ」などと必死に言っても通じない。アレフのことを「オウム」って呼ぶこと自体が、メディア上でタブーとなっているという可能性もゼロではない。

2001/11/4

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