東大生はバカになったか

知的亡国論+現代教養論

立花隆 / 文藝春秋 / 2001/10/30

★★

わけわからん

 1990年代中頃に自ら東大で教えた経験をもとに、東大生の学力低下について論じた本。

 これはガードの甘い本だった。根本的なところで、最後まで読んでも、タイトルとなっている「東大生はバカになったか」という疑問への答えがわからない。というよりは、著者自身の考えがよくわからないのである。(1) 東大法学部の学生は最初からバカだった、(2) 自分が学生として大学にいたころの周囲の学生はおおむねバカだった、(3) 自分が教員として戻ってきたときに大学にいた学生はおおむねバカだった、とは言っているようだ。ならば結論として、「東大生はバカになったか」という疑問への答えは「いいえ」(別に変わってはいない)ということになりそうな気もするが、近年の学力低下論争(『分数ができない大学生』『論争・学力崩壊』など)への言及もあって、その位置づけがよくわからない。さらに、著者が解決策として提示する、現代的な教養を身に着けるためのリベラル・アーツ教育が、この問題への解決方法としてなぜ有効なのかという理由もよくわからない。

 学力低下論争の文脈で言うと、その火付け役となった『分数ができない大学生』の著者ら周辺の立場から見れば、立花隆の提唱するリベラル・アーツ指向の大学教育は見当外れということになると思う。人によって細かい議論は違うだろうけれども、基本的に彼らは文部省のコントロールのもとにある高校までのゆとり教育が問題の原因なのであり、大学入試のシステムにも問題はあると言うかもしれないが、大学の教養レベルの教育に問題の原因はないと言うだろう。また、大学の教養レベルの教育については、専門課程にもっとスムーズに接続して欲しいとは言うだろうけれども、リベラル・アーツの優先順位を高くせよとは言わないはずだ。むしろ、従来の「最近の大学生はダメになった論」はリベラル・アーツ指向の立場から行われることが多かったが、そのパターンから外れているところに近年の学力低下論争の目新しさがある。

 一方、立花隆が述べるリベラル・アーツ重視の教育論は昔からのものである。この論は、初等教育におけるゆとり教育論とは別の、大学のレジャーランド化という文脈で批判されることが多かった。そして近年、日本の大学では教養部と呼ばれるリベラル・アーツ教育の場が廃止される傾向にあって、それがいくつかの問題を引き起こしているわけだけれども、東京大学はそれが残っている大学なのであるから、「東大生はバカになったか」というタイトルはいささかミスリーディングである。

 まあそういうわけで、本書は各方面からいろいろとケチをつけられそうだ。だから敢えて弁護の側に回れば、著者が昔から主張している、理系と文系の壁を取り払った新しい教養という概念には強く共感する。ただしこれにも、続けて読んだ『立花隆先生、かなりヘンですよ』で指摘されている問題、すなわち言っている本人にちょっと怪しいところがあるという問題がある。また、著者が言うような体系を、ただでさえも専門課程との接続がうまく行っていない大学の教養課程で教えることに妥当性があるのかどうかは疑問に思う。そもそも著者自らも、そのような教養の構成要素は、大学を卒業した後に長い時間をかけてに身に着けてきたはずだ。そのような継続的な学習を可能にする基盤を大学生(またはそれ以前)のうちに形成するということは可能だろうけれども、『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』を読んだときにも思ったことだが、みんながみんな立花隆のような全方位型のジャーナリストになるわけじゃないのだし、みんながみんなパーティで互いの教養レベルを推し量る会話に興じるわけではない。むしろたいてい忙しくて本読む時間なんかないようです。

2001/11/18

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