「南京事件」の探究

その実像をもとめて

北村稔 / 文藝春秋 / 2001/11/20

★★★

ちょっと期待外れ

 著者は中国近現代史を専門とする学者。本書の帯には次のようにある。「日本近現代史をゆるがす大論争に、歴史学の基本に戻って、新たな展望を!」。その歴史学の基本とは、資料の検証を注意深くやるということと、南京事件という事件があったという認識がどのように生まれ、どのように変化していったかを追跡することである。この問題の立て方から、著者のスタンスはだいたい予想できるだろう。いわゆる「大虐殺派」のいくつかの主張を、中国側のプロパガンダに乗ったものだと認定することが本書の最終的な目標であるように見える。あえて分類すれば「不可知論の混じった中虐殺派」か。なお、この読書メモで取り上げている南京事件関連の本は多くない。私の関心は、南京事件そのものよりも、それがどう語られるかという問題の方に移っている。

 本書の一番の特徴は、著者が「中国近現代史を専門とする学者」であるという点にある。私が南京事件論争を見ていて昔から抱いていた疑問の1つは、論者たちの中に、資料をちゃんと読める人は果たして何人いるのかということだった。言語の能力という基本的な条件だけでなく、各種の資料を当時のコンテキストに照らし合わせて解釈するトレーニングを積んでいるかどうかということだ。現実には、どちらの陣営にも、二次資料のみをもとに論を組み立てている人が少なくないように思えた。本書の著者はその点で十分な資格(qualification)を備えているように見える。また、この主題領域と直接の利害関係を持っていない(ように思われる)ということも重要である。著者も自らのアドバンテージをそこに見ており、だから「歴史学の基本に戻って」という帯の文句が出てくるわけだ。

 ただ内容を見ると、そういう宣伝文句から私が期待したものとは異なっており、これまでの南京事件の語り口からはやはり自由になっていないように見えた。この問題については過去30年近くにわたる論争の中で、いくつもの論点とか対立軸が設定されてきたわけだが、本書にもそれらについての反応的なコメントが多い。その点で、当時の中国におけるエドガー・スノーの役割を描くことを中心に据えた『新「南京大虐殺」のまぼろし』は、重要な本だったといまさらながら思う。本書には、南京事件を世界に知らしめたティンパーリーを似たような観点から追跡している部分があって、かなり興味深いのだが、残念ながら記述の量があまり多くない。ここの部分を膨らませた、彼がその手先になっていたという国民党国際宣伝処についての詳しい解説書はさぞかし面白くなるだろう。

 ただそれをすると、本のタイトルに「南京事件」とか「南京大虐殺」という文字を入れることができなくなり、それによって売上が落ち、私のようなカジュアルな読者が手にとるきっかけがなくなるという大問題がある。結局はそういうことなのだろう。

2001/11/25

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