ハムレットは太っていた!

河合祥一郎 / 白水社 / 2001/07/05

★★★

興味深いのだが

 シェイクスピアは座付き作家であったということを重視し、彼が劇中人物を設定するときには、必ずやそれを演じる役者を念頭に置いただろうという前提のもとに、シェイクスピアの演劇に出てくる登場人物の体型について論じた本。博士論文の材料を一般向けに書いた本とのこと。他人の研究もしばしば引用されるのだけれども、この分野の研究のステータスに関する全体的なレビューがないために、どれがこの著者のオリジナルの発想なのかがわかりにくくなっている。博士論文の読者ならば必ずわかることでも、一般人にはまったくわからないのである。

 内容は面白いが、結局はエリザベス朝の体型についての観念の歴史学へと回収される話ではある。その分野における研究のステータスもやはりわからない。特に気になったのは、エリザベス朝における通念と演劇一般の間の違い、そして演劇一般とシェイクスピアの演劇の間の違いという順序を立てて論じるということが行われていない点だった。たとえば、エリザベス朝の演劇では、女性が一般社会に比べて性的に異様に早熟であるという話なんかは、私にはきわめて興味深いことに思える。これはなぜなのか、他の時代と社会ではどうなのか、シェイクスピアは同時代人と比べてどうなのかなどという話は面白くなりそうだ(逆に、すでに確立されてしまっているのかもしれないが)。

 また、歴史学と歴史社会学とシェイクスピアの劇作法についての話にとどまっていればよかったのだけれども、途中で何度か、精神分析の入ったテキスト論的な「文芸批評」をやっているところがあって大きな違和感があった。

 なお、『恋におちたシェイクスピア』という映画は、ローズ座のために戯曲を書いていた若きシェイクスピア(ジョセフ・ファインズ)と良家の娘(グウィネス・パルトロー)を主人公とするロマンティック・コメディ。グウィネス・パルトローが男のふりをして劇団にまぎれ込み、ジュリエットを演じるという2重の性倒錯を描いた映画で、女は女が演じるのが一番という近代的・性役割固定的なテーマを持っていた。本書の内容を踏まえて言えば、シェイクスピアは『ロミオとジュリエット』に限らずどの作品を書くときでも、主要な女性の登場人物を描くときには、そのときに劇団にいた特定の少年俳優を念頭に置いていたはずだ、ということになる。現代日本の例でいえば、宝塚歌劇団の演目の台本を書く人は、男役のセリフを作るときに、その役を演じることになる男役の役者を念頭に置いて書くのであり、決して抽象的な意味での男性を念頭に置いては書かないと思われる。

 なお、「あとがき」がかなり鬱陶しい内容。そういえば『シェイクスピア・ミステリー』の訳者あとがきも不快な内容だった(別の人です)。

2001/11/25

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