英文法の謎を解く

副島隆彦 / 筑摩書房 / 95/08/20

★★★★

意欲的

 日本における英語教育の誤りを指摘するだけでなく、望ましい英文法の体系についての概略も示している意欲的な本。随所に卓見がある。

 以下、個人的な感想。

 日本人が英語を長年かけて勉強しても、まともに使えるようにならないということは大昔から指摘されてきたことで、その状況はいまだに改善されていないように思われる。しかし、そのこと自体に日本人総体としての何らかの意思が見て取れるといえないだろうか? 例として、最近強い印象を受けたエピソードに、007シリーズの映画、"Tommorow never dies"の邦題が「トゥモロー・ネバー・ダイ」となった件がある。これがついうっかりの間違いであったとはまず考えられず、このような邦題を使うことに対する強固な反対意見も配給会社内にはあったはずだが、それにもかかわらず誰かが、この邦題がいまの日本人には適切であると判断したのだろう。あるいは、"Fly away home"という映画の邦題が「グース」になった件。そもそも「フライ・アウェイ・ホーム」としなかったことだけでなく、「ギース」としなかったことにも、ある種の微妙な判断が働いたことが見て取れる。マクドナルドが日本のTV CMで「ベーコン、チーズ、ダブルバーガー」という、純日本風の発音の歌を使っていることにも。

 こういう態度が日本人とその社会に多大なコストをかけていることは間違いないことである。そのコストにもかかわらず、日本人がいまだに事態を改めようとしていないのは、まあそれに無教養とか頑迷さなどのラベルを貼ってもいいけれども、ある種の意思の表れだと考えていいと思う。問題は、インターネットもその流れの1つである、情報の国際的流通が促進される今後の世界において、この意思がどういう帰結を迎えるのか、ということだ。

 自分では確認していないが、アメリカで流されているプレイステーションのCMで、日本と同じ発音で「プレイステーション」という単語が発せられているという話を聞いた。World Wide Web上で日本人が「リンク・フリー」という言葉をイヤとなるほど繰り返せば、英語のネイティブ・スピーカーの間にも、それを「自由にリンクしてよい」という意味に使うことが"cool"だと考えて、そのように使う人も出てくるかもしれない。そう、この現象にはこういう帰結もありうるのだ。

 もう一つ。世界の標準語としての地位を確立しつつある英語に対する身の処し方として、それが外国語であり、理解しにくい、それを使って情報発信がしにくいということは、長い目で見ると、それほど悪いことではないかもしれないと思う。個々の人々は多大なコストを背負うことになるけれども、独自の文化(何がそれなのかはわからないが)の保存に役立つだけでなく、神秘的な国と国民という印象の醸成にも役立つし、何よりそのコストを背負うことによる葛藤が日本人を内面的に成長させるのである。これは冗談だが、少しだけ本気が入っている。

1998/6/25

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