英語襲来と日本人

えげれす語事典

斎藤兆史 / 講談社 / 2001/11/10

★★

興味深いトピックなのだが

 著者は「英語文体論」を専門とする学者。本書は、幕末と明治時代を中心に、日本人がどのように英語を学習してきたかを振り返る本である。非常に興味深いトピックなのだが、英語教育を巡ってのイデオロギー対立の中での著者の立場が露骨に出ているため、記述の信頼性が失われているだけでなく、非常に鬱陶しい。

 著者の立場は、いわゆる「コミュニケーション中心主義」とは反対の、「素読派」とでも言うべきものなのだが、これにエリート教育の議論が入り込んできているため、論旨がおかしくなっている。著者は、素読を中心とする学習法が効果的なのは、過去の語学の達人を見ればわかると言うが、彼らが語学のエリートであったともいう。ならば、エリート育成を目的にしない公教育ではコミュニケーション中心主義の教育をやってもいいじゃないかと思うんだが、著者はこれには反対である。その理由としては、「それをやるとエリートの芽が摘まれてしまう」ということしかありえないと思うのだが、著者はどちらにせよエリートを分離しての教育を主張している。

 もちろん著者の言うエリートとは、過去において英語を流暢に使いこなすだけでなく、日本における英語教育にインパクトを与えた人々なのだが、幕末とか明治時代の日本においては「素読派」が大勢を占めていたわけなので、そういうエリートたちが素読によって英語の能力を培った人々である確率が高いのは当たり前である。もちろん、平成の「英語のエリート」は幕末とか明治時代のそれとは違うものになるんじゃないか、というような突っ込みも可能だろう。

 『誰がこの国の英語をダメにしたか』の項で、私は「読解中心」の教育の利点を述べたが、これは英語そのものの習得とは関係のないレベルでの話だった。各種の英語学習法の、英語の習得効果の多寡そのものについては、私はあまり確信を持っていない。確信を持つためには、日本人を対象にした、ちゃんとコントロールされた実験の結果が示される必要があるが、その場合でもアチーブメントの評価が非常に難しいことはわかり切っている。結局は、選択肢が用意されている状況で、個々の人(または親)が自分の信じるところを選んで賭けてみるということしかないように思う。

 『文久三年御蔵島英語単語帳』は、幕末に御蔵島で独力で英語単語帳を作った人の話。あの項にも書いたことだが、過去の日本人の単語帳での発音表記を論じるときには、そのもととなった英語話者の発音と、当時の日本人のカナの表記法とその発音法を吟味しなくてはいけないと思うのだが、本書ではそれをやっているのかどうか曖昧だった。

2001/12/21

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