Shadow of the Hegemon

Shadow of the Hegemon

オースン・スコット・カード / Tom Doherty Associates / 2001/01/01

★★★

仕方がないけど、少しやばいか

 オースン・スコット・カードの『エンダーズ・シャドウ』の続篇。異星人との戦争が終わり、エンダーが植民地へと旅立ち、バトル・スクールの子供たちが地球に戻ってからの地球上でのパワー・ゲームを描く。このシリーズでは、あと2つの続篇が予定されているとのこと。

 本作は、これまでのカードの小説とはちょっと様子が違って、23世紀あたりに設定されている舞台の中で前近代的な国家観に基づく戦争が行われる「近未来ポリティカル・スリラー」になっている。こういうアナクロニズム的な舞台設定を行っていること自体が、カードによる世界認識の表明なのだろうけれども、その結果、トム・クランシーと同じ舞台に立ってしまったことになる。これは実にやばい。SF/ファンタジー的な舞台の中ではそれほど気にならないカードのファナティック的な気質が、露骨な形で表面化してしまっているのである。

 遠未来SF小説の利点の1つは、作者が世界のあり方を自由に創造できるということにある。しかし、本作で描かれる地球は、20〜21世紀の地球とあまりに似ている面が多いため、そのような自由さの余地がなくなっている。それゆえに、『エンダーのゲーム』と『エンダーズ・シャドウ』でかなりの説得力があった、子供が戦争を指揮するという設定が信じにくくなっている。さらに悪いことに、本作で描かれる近未来の地球は、人類の浅はかさに関する鋭い洞察というよりも、どちらかといったら作者の世界観の未熟さを感じさせる。

 作者によるあとがきには、この小説に最も似ているゲームとして『三国志』の名前が挙げられている(これはたぶん光栄のストラテジー・ゲームのことを指している)。小説ではなくゲームの方が言及されているのである。さらに、地理的・物理的条件が歴史に与える影響についての参考書として、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』が挙げられている。このことから想像されるのは、『銃・病原菌・鉄』が対象読者としていたようなアメリカ人キリスト教徒が、『三国志』のゲームから学んだパワー・ポリティックスを使って政治小説を書いたという図式だ。

 子供の間でのパワー・ポリティクスが中心だった『エンダーズ・シャドウ』と違って、本作では、ビーンを始めとするバトル・スクール出身の子供たちは大人の世界に投げ込まれる。しかし、これらの子供たちは、大人の精神を持った子供として設定されているので、皮肉なことに子供である必然性がなくなっている。というよりも、カードはそれをうまく活かしたプロットを作ることにあまり興味がないように思える。唯一の例外は、エンダーの兄であるピーターとその家族の関係で、第II部の終わりで描かれる和解は本作の最も感動的な場面である。それを除けば、本作の若い登場人物たちは、いずれも何歳であってもかまわない。彼らは子供なので、未熟な世界観を持っており、そのことが出来事の進行に影響を及ぼすという構図にすらなっていない。というのも、彼らの世界観はカードの世界観(のさまざまな側面)を反映したものに他ならないからだ。

 というわけで、本シリーズの行く末にはかなりの不安を覚えた。登場人物たちが自分の考えを延々と説明しつづけるカード節は健在だが、それを支えるだけの枠組みが本作には欠けている。そのような枠組みがなければ、この手法は下手な小説の「説明しすぎ」に直結してしまう。

2002/1/5

amazon.comの該当ページへ

検索ページへ 目次へ 前へ 次へ