日本語を反省してみませんか

金田一春彦 / 角川書店 / 2002/01/10

★★★★

これも楽しい

 『ホンモノの日本語を話していますか?』が面白かったので、続けてこの新刊を読んでみた。やはり日本語に関するエッセイ集で、面白い話が詰まっている。

 話が広がりそうなトピックはいくらでもあるのだが、1つ、「立ち上げる」という言葉を論じた箇所を紹介する(79ページ)。著者は、「コンピュータを立ち上げる」という使い方での「立ち上げる」を耳ざわりに感じる。ここから派生した(と著者は考えている)「電話センターを立ち上げました」もおかしく、「設立しました」と言えばよいと感じる。その背後には次のような理由がある。もともと「立ち上がる」という自動詞はあったが、他動詞として使うときには「立ち上がらせる」と言った。一方、「〜上げる」という言葉には、「縫い上げる」とか「育て上げる」のように、手間ひまをかけたという意味が込められている。したがって、スイッチを1つ入れるだけで済む「コンピュータを立ち上げる」という動作には似つかわしくないと感じるのである。

 私は、新しいテクノロジーの輸入に伴って生じた、和語の新しい使い方に関心を抱いている。たとえば「リンクをはる」という言い方がある。これが「張る」なのか「貼る」なのかはよくわからないのだが(Googleで検索してみよう。リンクを張リンクを貼)、とにかく「Webページ上に、別のページへのリンクを置く」という行為を指す言葉として、「リンクをはる」は実にぴったりで、私自身も使っている。ところが、この「リンクをはる」はおそらく英語からの翻訳ではない。網羅的なリサーチを行ったわけではないので確信はないのだけれども、英語でのこのコンテキストでの"link"は、動詞として単独で使われるか("link a page")、名詞として"put"、"add"などの動詞の目的語として使われる("put/add a link to the page")。「リンクをはる」という日本語は、これらとは構文上も意味論上も違ったものであるように思われる。世の中にはコンピュータ用語の「誤用」と言われるものがいくつもあるけれども、この「リンクをはる」は、非常に自然な日本語として感じられるという点で、私にとって重要である。関連して、「電話をかける」、「映画を(映画館で)かける」、「ビデオをとる」などが、いつどのように発生して受容されたのか興味深いところだ。

 著者が不満を述べている「立ち上げる」については、コンピュータ技術者に聞けば、これは"boot"とか"boot up"とか"startup"などの訳語である、と答えるだろう。これらの英語のフォーマルな訳語は「起動する」であり(もちろん「ブートする」とか「スタートアップする」とも言うが)、「立ち上げる」はインフォーマルな言い方である。この「上げる」は、"boot up the computer"や"startup the computer"の"up"からの連想である可能性がある(ただし英語ではどちらの"up"も省略しうる)。また、著者は、現在のPCの「立ち上げ」がスイッチ1つで済むという手軽さが、この「〜上げ」の語感にそぐわないと述べているが、歴史を遡れば、コンピュータの起動はまさに「〜上げ」という語感にふさわしい、長い時間のかかるものだった(もちろんOSの巨大化のせいで、いまでも長い時間がかかるものが多いけど)。「コンピュータが立ち上がる」とは言うが、「コンピュータを立ち上がらせる」とはほとんど言わないのは、コンピュータの起動がかなり面倒なものであると感じる、技術者の観点が入っているからなのだろう。技術者にとっては、コンピュータは自然に起動するものではないし、ちょっと手を貸しただけで立ち上がるものでもないのである。

 英語でコンピュータの起動のことを"stand up"とは言わないので、これは「リンクをはる」と同じタイプの、言葉の新しい使い−−あるかもしれないが、コンピュータ以前に、「立ち上げる」という言葉がもっとぴったり来る機械の設置と起動に、ジャーゴンとして使われていて、それが転用された可能性もある(未確認)。

2002/1/15

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