私が大学について知っている二、三の事柄

蓮實重彦 / 東京大学出版会 / 2001/12/05

★★★★

意外なことに面白かった

 著者の本を読むのは久しぶりで、たぶん1994年の『魂の唯物論的な擁護のために』以来ということになると思う。

 本書は、著者が東京大学の総長をやっていた時期の、総長やその他の公の立場で行ったスピーチやそれに類する文書から構成されている本である。著者の学内政治家としての活動に関しては悪い噂ばかりが耳に届いてきたし、この人が教育行政家として言ったことや行ったことが肯定的な文脈で紹介される文章をほとんど読んだことがないのだけれども、驚いたことに、本書に収録されているスピーチの多くは実に良いものだった。他のすべての要素を無視して、「大学の学長が行うスピーチ」として見た場合には、理想形態の1つなんじゃないかと思う。もちろん私は「大学の学長のスピーチ集」なんてものを注意深く読んだのはこれが初めてなので、比較の手がかりがそんなにあるわけじゃないのだが。

 例によって政治的な牽制が細かく張り巡らされた文章で、大学の新入生や卒業生を対象にしたスピーチでこんなことを言っていていいのかという疑問が生じないわけでもないが、これを東京大学の総長という立場に期待される慎重さと狡猾さと呼ぶこともできるだろう。「文部大臣を狙っている」という噂が流れるのも無理はないような内容である。

 この時期の大学をめぐる重要なトピックは、独立行政法人化を含む「制度改革」であり、著者はこれに反対しているのだが、その反対の理由の説明は、本当にそのようなことを諸々のまっとうな会議の場で口にしていたのだとしたら笑っちゃうような、「理由になってない!」の一言で片づけられてしまうようなものだった。

 「学力低下」のトピックにも触れている。このトピックは著者の総長としての任期の後半に急激にホットになったものなので、言及の量は少ないのだが、夏目漱石が旧制高校の学生の英語の力の低下を嘆いていたという事実をひいて、基本的には、これは大衆化した社会が必然的にたどるコースなのだと論じている。ちなみに、著者のとる「文系的な立場」と、論争の火つけ役となった数学者たちを中心とする「理系的な立場」(『分数ができない大学生』など)の間の政治闘争は、結局は後者が勝利を収めたということになっているらしい。議論の決着がついたわけではなく、あくまでも東京大学内の人事問題の話であり、一般人にはあまり関係のないことである。

 こうやって久しぶりに蓮實重彦の本を読んでみての感想は、この人からグローバリゼーションとか市場原理とかの俗っぽい言葉が素直に出てくることの異様さと、これらの言葉をうまく使ってしまう器用さに対する驚きに尽きる。言葉の器用さは映画評論家に必須の性質ではないのだけれども、この人の器用さはあまりにも抜きんでていたために、言葉を器用に使いさえすれば映画評論が書けるという錯覚が生じ、そのおかげで1980年代後半以降の日本の映画およびその他の周辺領域における評論は完全に道に迷ってしまった。しかし、政治の分野では、言葉の器用さは明らかに望ましい性質の1つである。こうなるのも必然だったのかもしれない。

2002/1/27

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