なぜ中国人は日本人を憎むのか

石平 / PHP研究所 / 2002/01/30

★★★★

興味深い

 著者名の石平は「せき・へい」と読ませている。北京大学を卒業後、神戸大学で博士号をとっている中国人。本人が日本語で書き下ろしているようだ。本書は1990年代後半頃から中国で生じている反日的な動きを紹介する本。『喪失の国、日本』を読んで以来、外国人が書いたとする本が本当に外国人の手によって書かれたものなのかが非常に気になるようになってしまったのだが、本書は特に怪しいところもないので、著者略歴を信じることにする。

 1990年代後半以降の韓国と中国で、草の根レベルの反日的な動きが広まっているということはどうやら本当のことらしい(アイリス・チャンの『The Rape of Nanking』は、この動きがアメリカに流出したもの)。本書は中国のインターネット上の文章、書籍、新聞、TV番組などに表れた反日的な文章をいくつも収録している。著者はすっかり日本贔屓になっているので、これらに対して批判的で、そのような動きに中国人自身の混乱と心情的必要性をみてとっている。韓国の呉善花(呉善花の本)、台湾の謝雅梅(謝雅梅の本)などと似た立場である。

 著者が紹介する文章には過激なものが多い。ただ、文面の過激さを度外視すれば、日本人が中国人について書いている似たような偏狭な文章は、インターネット上と一般書籍の中にはいくらでも発見できるように思う。バカはどの国にでもいるのである。ただし問題は、90年代後半の韓国と中国における反日的なセンチメントがメディア主導型で、一般人の間に広く浸透しているらしいということだ。でも、これも判断は難しい。メディアに表れるセンチメントがいかに一般人の心情から乖離するかは日本のメディアを見ていればよくわかるし、インターネット上の言説、特に特定の掲示板への書き込みから心情の平均値や中央値を推測するのが困難なことは周知のとおりである。ただ、メディアやインターネットを通して、特定の価値観に繰り返して接していると、とりわけあまり深く物を考えていない人々は多大な影響を被るということも事実だろう。

 ちょうど同じ時期に日本でもいわゆる「自由主義史観」と呼ばれるナショナリスティックな動きが生じた。これは、冷戦終了後のナショナリズムへの揺れが、社会体制や経済状況と関係なく普遍的に起こっていると考えるべきだろう。この環境下で、一国の進歩主義者の言説が他国のナショナリストの言説と結託するという状況が生じている(鄭大均の『日本(イルボン)のイメージ』などを参照)。本書で取り上げられているような中国人のナショナリスティックな言説は、日本の進歩主義者(いわゆる「自虐派」)の言説と通底している。一方、本書の著者や呉善花や謝雅梅は、未来のいずれかの時点で、それぞれの国で進歩主義者だったと認定されるのではないかと思う(それまでに自国に凱旋できればだが)。実際これらの人々は、自分を日本という「先進国」に来て開眼した者とみなし、自国のナショナリスティックな動きを「遅れたもの」として見ている。

 本書は、中国の言葉を読めない私にとっては非常に参考になる本で、楽しく読むことができた。著者の冷静な分析にもおおむね共感する。個人的な希望としては、著者には呉善花や謝雅梅のような日本のナショナリストのペットにはなってほしくない。自由主義史観と自虐派という区分を軽やかに無視して奔放な著作活動を行ってもらいたいものだ。

2002/2/11

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