A

マスコミが報道しなかったオウムの素顔

森達也 / 角川書店 / 2002/01/25

★★★★

これはマシ

 『スプーン』『放送禁止歌』の著者による、オウム真理教を扱ったドキュメンタリー映画『A』の撮影プロセスの記録。2000年6月の現代書館『「A」撮影日誌』に大幅な加筆修正を加えたものだという。私はこの映画『A』を見ていない。話を聞いた瞬間にそれがどんなものか想像がついてしまい、関心は抱いたものの、わざわざ映画館に足を運ぶまでに至らなかった。本書を読むと、その想像は外れていなかったようだが、見てみたいという気持ちは強まった。

 『スプーン』と『放送禁止歌』の項で、私はこの人が取材対象について無知すぎると苦情を述べたけれども、本作は本人がよく知っていること、すなわちTV番組を含む映像メディアについての本なので、そのような不満は感じなかった。いやもちろんこの『A』という映画と本はオウム真理教についての作品である。しかし、本書にはオウム真理教についての目新しい話はまったくといっていいほど含まれていないし、著者も何か新しいものを発見したとは主張していない。

 本書の主眼は、TV局絡みの仕事をしていたTVディレクターが、TV番組の境界を逸脱したときに直面する問題群である。これらの問題群は、最初からフリーランスで仕事をしているジャーナリストやドキュメンタリー作家にとっては当たり前のことかもしれないが、著者はTVの世界の記憶を引きずりながら新しい世界へと足を踏み入れる。

 本書で一番衝撃を受けたのは、1996年8月7日に起きたオウム信者の不当逮捕の事件で、著者らが回すカメラの前で警官が平然といわゆる「転び公妨」(相手にわざと接触して自ら転び、その相手を公務執行妨害で逮捕すること)を行ったという記述だった。著者は、ビデオ・テープが証拠として残ることを知っていながら、警官が撮影を妨害しようともしなかった理由について次のように書く(135ページ)。

……ずっと釈然としなかったこの疑問の答えは簡単だ。拍子抜けするくらいに単純だ。僕は彼らにドキュメンタリーを撮っていると何度も説明したが、彼らはたぶんテレビクルーと認識したのだろう。そして彼らにとって、テレビは警戒すべき存在ではなかったのだ。マスコミは不当逮捕を見逃す存在として認識していたから、彼らは撮られることを意に介さなかったのだ。

 結局、著者は迷った末にビデオ・テープを弁護人に渡し、これがきっかけとなって被疑者は釈放される。

 ビデオ・カメラが軽量化したとき、これからはインディペンデントなビデオ・ジャーナリストが活躍する時代だと言われたが、目立った変化があったという話はあまり聞かない。本書はなぜそうなのかという疑問へのヒントを与えてくれる。やはり配給と編集の問題が大きいのである。過去数年とこれから数年のうちに予想されるインターネットとビデオ関連のテクノロジーの進歩は、この状況をどれほど変えるだろうか。

2002/2/11

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