自衛隊指揮官

瀧野隆浩 / 講談社 / 2002/01/30

★★★★

非常に興味深い話なのだが

 著者は防衛大学校を卒業後、毎日新聞社で新聞記者をやった後に『サンデー毎日』に移った人。本書は、重大な事件の発生時に自衛隊の指揮官がどのように反応したかを紹介することで、自衛隊の置かれている板挟みの状況をあぶり出すという趣向の本。著者の経歴ゆえに、自衛隊の指揮官の立場への過剰な思い入れがある。このことは長所でもあり、短所でもある。

 (1) 1995年の地下鉄サリン事件。当時、化学学校の教官をしていて、現場での汚染除去作業の指揮を執った人の行動を描く。(2) 1999年の不審船追跡事件。トップから現場までの意思決定の経緯を描く。(3) 1976年のミグ25亡命事件。函館空港周辺を所管していた陸上自衛隊の駐屯地の司令官の手記を紹介する。(4) 1987年の「12・9警告射撃事件」。航空自衛隊が初めて警告射撃を行った事件を、当事者のパイロットの証言をもとに紹介する。

 いずれの件も、関係者たちの行動の動機が詳しく説明されているので非常にわかりやすい。たとえば航空自衛隊による警告射撃を扱った章では、パイロットが警告射撃をするという行動が簡単なことのように見えてどれほど大変なことかが説明されており、不審線追跡事件の章では、海上自衛隊が臨検をすることがどれほど危険なことなのかが説明されている。個人的に一番驚いたのは、ミグ25の件だった。このとき、陸上自衛隊はソ連の侵攻に備えて本格的な戦闘準備体制に入っていたが、事態の解決後には隊を挙げてのもみ消しが行われたという。

 著者は自衛隊を正当な軍隊として認めよという意見を持っており、本書全体がそのような見解を誘導することを目的として構成されている。また1990年代に入っての自衛隊の位置づけの変化を、「この十年の国際情勢、社会環境の変化にともなって、国民は自衛隊を「使おうか」と思いはじめているのだ」(196ページ)というような表現で説明している。このような主観的な偏りは本書のノンフィクションとしての大きな欠点なのだが、本書に登場する関係者たちはこのような人に対してでないと口を開かなかっただろうとも思えるので難しいところだ。

 冷戦の終結に伴い、世界各地で起こる紛争は、急に日本の自衛隊にも「参加可能」なものに見えるようになった。『いま、歴史問題にどう取り組むか』の項に詳しく書いたように、日本の国家安全保障上の「普通の国」への転換は不可避に見える。いったんそうなれば、著者の問題意識となっている自衛隊の奇妙なねじれは緩和されるだろうが、軍と政府、さらには国民一般との乖離は別に日本固有のものではなく、どの国でも起こっていることではあるだろう。

 なお、肯定的に論じられがちな「国際貢献」なのだが、ユーゴスラヴィア紛争に国連の管理下で参加したヨーロッパの国のいくつかの戦争映画を見ていると、私はあまり楽天的になれない。たとえば英国BBCのTVムービー『ウォリアーズ/インポッシブル・ミッション』は、国連の平和維持活動が現場の兵士にとってどれほどストレスがかかるものかを描いていてかなり説得力がある。

2002/3/11

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