美しくて面白い日本語

ピーター・フランクル / 宝島社 / 2002/04/03

★★★

まあ楽しい

 著者が外国語としての日本語を学んだ経験を紹介するエッセイ。あとがきには「数学者であり大道芸人である僕が、考えてみればこの二つを除いて一番たくさんの時間をかけて勉強したのが日本語である」(210ページ)とある。それはなんというか「ありがたや」というような話である。

 私はこの人の最初の2冊の著作を読んでおり、それ以降は目を配っていなかった。最近ではヨーロッパ文化人の立場からの発言をしているようで、『あえて英語公用語論』の項でこの人が出演したTV番組についての感想を書いたことがある。本書にも英語中心主義に対する批判がある。

 人は外国語に関して極度に古典主義的/保守的になることがあるが、本書でも著者は私が聞いたこともないような言い回しや諺などをいろいろと紹介している。特に興味深いのは、フランスびいきの文化人として、フランスのちょっと極端とも思えるフランス語保存政策に好意的な立場から、日本語についても似たような政策を採用するべきだと論じているところだ。特に、カタカナ語や外来語の氾濫を嘆かわしく思っており、それをコントロールするべきだと考えている。しかし『日本語のできない日本人』の項に書いたように、日本語はそのように変化の激しい言語なのである。そうでなければ著者も、「予て」とか「挙って」の読みを知っていることを自慢する本は出版できなかったろう。

 なお、どんなものであれ「中央の審議会」みたいなものが日本語をコントロールするというアイデアにはまったく賛成することができない。言葉に対してはリベラルな態度をとることが好ましいということ以前に、その手の「中央の審議会」みたいなものをまったく信頼できないからだ。一般に「その道の専門家」とか「有識者」が集まって作る用語集はロクなものにならないし、オフィシャルなものであるがゆえに時代の変化に対応できなくなるという弊害がある。だいたい、JISの用語がどれほどの害を与えてきたことか。私も「邦題考」というコンテンツからわかるように日本語の状況にそうとう苛立ちを感じているが、オフィシャルなポリシーが作られたら事態はもっと悪い方に進むと確信している。

 なお、著者は「ら抜き言葉で統一せよ」という主張をしている(197ページ)。ヨーロッパの諸言語の簡略化ポリシーを引き合いに出しており、ら抜き言葉批判論者にとっては目新しい議論かもしれない。ただね、フランクルさん。「ら入り言葉」こそが標準語政策の結果なんですよ。『日本語ウォッチング』などを参照するとよいが、「ら抜き言葉が醜い」と感じる感性は、人々が「標準語」という概念を内面化し、方言の地位が低下したことの現れである。そういう人はたぶん、方言はその地方の老人が喋っている場合にのみ安心して聞けるのだろう。方言の観光資源化、コンテインメントとでも言うべきか。

2002/4/1

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