現代日本文学「盗作疑惑」の研究

「禁断の木の実」を食べた文豪たち

竹山哲 / PHP研究所 / 2002/04/30

★★★

野暮だが実直な文芸評論

 著者は理系の技術者で、日本の近現代文学を愛する好事家ということのよう。タイトルには「盗作」という言葉が使われているが、著者は本文中では「リライト」という言葉を使っていて、素人の書いた日記などのリソースを、プロの小説家が書き直し、自分の作品として発表するという行為なども含めている。

 取り上げられている作家は、田山花袋、森鴎外、徳冨蘆花、井伏鱒二、太宰治。すでに周知の事柄となっているケースが少なくないが、著者はこういう盗作じみたケースが発覚しても、「文芸評論界」では一般に反応が鈍いことに苛立ち、野暮を承知で、著作権法の文言をベースに、これらの作家の作品の創作性がいかほどのものかを見積もるという作業を行っているということなのだと思われる。最終章「創作性の検証」の最後の2パラグラフを引用しておく(226ページ)。

シェイクスピアのような例もあるから、文体も重要だと思う。しかし、文体よりもっと重要なのは根本となる発想、アイデア、ひいては構成ではないだろうか。シェイクスピアにしたって、「原話」の構成や登場人物の年齢(たとえばジュリエットは種本の十六歳を二歳以上若くした)を変えるなど、いろいろ工夫しているのだから。
日本では、発想、アイデアが伝統的に軽視されてきた。これはいまだにストックが少なく、フローの経済だからであろう。じっくり考えてよい作品を一、二年に一本書く、というのは欧米の話である。それでは作家も、そして出版社もやっていけない、という日本の事情が、他人のアイデアを借りたリライトに走らせたのであろう。

 「引用」とか「オマージュ」とかがクールな行為と見なされる昨今においては、かなりの時代錯誤で野暮に見えるけれども、知的所有権の強化というコンテキストでは時流に乗っているとも言える。理系の技術者らしい、まっすぐな態度が好ましい本である。

 私はといえば、オリジナルな発想やアイデアなんてものは滅多にないし、オリジナルなものがつねに良い作品であるとは限らないというような思いはとうぜんながら抱いているものの、鑑賞者の態度として、他の作品からの影響にこだわるのもみっともないと思っている。そういうのを論じる文芸評論、映画評論、音楽評論が多いのは、文字数を水増しするのが簡単だからだではないかと、はっきりと意図的にそういうのを排除している「MP3.COM鑑賞日記」を書いていて思う。「こういうのが好きな人は、この曲も気に入る」とか、「これが気に入ったならば、こういうのもいかがですか?」というタイプの紹介は非常に有用だとしても。

2002/5/10

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