報復回路

The Bank of Fear

デイヴィッド・イグネイシアス / 文藝春秋 / 98/04/10

★★★★

イラクを取り巻く陰謀を描いた新しい国際謀略小説

 あとがきにはこうある。「著者によれば、本書は過去二十五年間におけるアメリカと中東の関係を扱った三つの連作小説の最後に位置するとのことだが、この三編は独立した作品で、登場人物も舞台もまったく異なっている」。第1作は"Agents of Innocence"(『無邪気の報酬』文藝春秋)、第2作は"Siro"(未訳)である。

 イギリスに置かれた、イラクの「統治者」(フセイン大統領を暗示している)のマネー・ロンダリングのために設立された会社で働く主人公のイラク人女性が、ひょんなことから、会社にスパイの容疑をかけられる。そのきっかけを作ったのは、元CIAベイルート支局長を父に持つ財務コンサルタント。この二人が、イラクの政変(「統治者」が暗殺される!)などの事件に巻き込まれ、その過程でイラクとアラブ世界に関わるCIAの謀略が明らかになっていく。

 イスラム世界とCIAの関係を描いた国際謀略小説の一つのフレームワークを真っ向から取り上げているポスト冷戦のスパイ小説である。このフレームワークとは、イスラムの諸国家、とりわけイランとイラクとアメリカCIAの関係をどのように位置づけるかという問題に関係している。主人公の一人に財務コンサルタントを据えていることからもわかるように、『密盟』と同じく経済活動が重要な役割を果たしている。

 この本のもう一つの特徴は、主人公のイラク人女性の体験と心情がていねいに描かれているということだ。私はイラク人ではないので本当のところがどうなのかはわからないけれども、ロンドンで働くイラク人がどのようなことを考えるか、という点でリアリスティックなアプローチをとっている。この女性は叔母をイラク国内で人質に取られていることもあり、刷り込まれた恐怖心から身を解き放つことができない(そこからいかにして脱出しうるかが、この本のテーマの一つなのだが、その部分は少しばかり単調か)。猫を前にして身動きできなくなっている鼠のようなものなのだが、会社でもろもろの恐ろしい出来事に直面しても、有効な行動を起こせないままでいる様子の描写はかなり怖い。

 全体的に、いまひとつ整理しきれていない感じを受けるけれども、それがかえって、何が起こるかわからないという雰囲気を作っている。だからこれは意図的な散漫さなのかもしれない。

 大学でコンピュータ・サイエンスを学んだという主人公の女性が、UNIXのtarコマンドを知らないという設定にはのけぞった。スイスの銀行に対するハッキングもかなり怪しげ。

1998/7/10

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