世界がもし100人の村だったら

If the world were a village of 100 people

池田香代子、C・ダグラス・ラミス / マガジンハウス / 2001/12/11

いろんな意味で怖い

 インターネット上で広がっていたチェーンメールに手を加えて本にしたもの。池田香代子が「再話」、C・ダグラス・ラミスが「対訳」としてクレジットされているが、調査を行ったのはマガジンハウスの編集部のようだ。ベストセラーになった。「チェーンメールをベースにした本が売れるなんて!」と多くの人が思っただろう。なお、原型となったオリジナルはドネラ・メドウズの書いた新聞エッセイだとされているが、チェーンメールはパブリック・ドメインにあるという判断がなされたものと思われる。

 ちなみに、私にはこのチェーンメールは一通も届きませんでした。

 この本を読んで、かなりどぎつい内容だったので、少々びっくりした。冒頭、自分の娘が通う中学校の担任の教師が生徒に送ったメールを引用するという文章の後に、次の2パラグラフが続く(ここまでの3パラグラフが、このチェーンメールが日本語に翻訳された後に追加されたものだと思われる)。

今朝、目が覚めたとき / あなたは今日という日にわくわくしましたか? / 今夜、眠るとき / あなたは今日という日にとっくりと / 満足できそうですか? / 今いるところが、こよなく大切だと思いますか?
すぐに「はい、もちろん」と / いえなかったあなたに / このメールを贈ります。 / これを読んだら / まわりがすこし違って見えるかもしれません。

 その後、全世界の人口を100人の村に縮めたらどうなるかという問答が始まるのである。つまり、「20人は栄養がじゅうぶんではなく / 1人は死にそうなほどです / でも15人は太り過ぎです」というような文章を読めば、日常生活に退屈を覚えている人も、自分がいかに幸せな生活を送っているかがわかる、と言っているわけだ。私は本書を実際に読むまで、これほどあからさまな話だとは知らなかった。これは植民地に赴任してきた官僚の妻が悪ガキを諭すときに使うやり方である。

 もっと怖いのは次のパラグラフだ。「村人のうち / 1人が大学の教育を受け / 2人がコンピューターを / もっています / けれど、 / 14人は文字が読めません」。チェーンメールを受け取れるのは、コンピュータを持っている人だけである。このメッセージが想定しているコミュニティは、植民地官僚の家族のコミュニティよりも分散的な、インターネット・メールでつながっている人々のコミュニティであり、しかもそれは100人の村の中に2人しかいない!

 ほぼすべての項目は、幸せな人とそうでない人の二分法を提示しており、チェーンメールの受け取り手はほぼ100%の確率で前者の方に入ることになっている。だからこそ、これがチェーンメールとして流通したのである。考えてもみたまえ。「もしあなたが / 空爆や襲撃や地雷による殺戮や / 武装集団のレイプや拉致に / おびえていなければ / そうでない20人より / 恵まれています」というような文章が入っているチェーンメールを、チェチェンやアフガニスタンやチベットに住んでいる友人に転送する気になれるだろうか? また、間違えてそんなメールを受け取ってしまったそういう境遇の人は、別の人(同じ境遇であれそうでない境遇であれ)に、「これを読んだら / まわりがすこし違って見えるかもしれません」なんて書かれているメールを(憤りを表明する目的以外に)さらに中継する気になれるだろうか?

 これは要するにミームの伝播の話である。このミームは、それを読めば気分がよくなる人の間でのみ拡がるように設計されており、事実それを読むと気分がよくなる人が多かったので、爆発的に拡がった。解説によると、もともと拡がっていたバージョンはキリスト教色の強いものだった(上記の植民地官僚の比喩は正しいわけだ)。宗教色を取り除いたことで、たとえば日本でも拡がる余地がでてきたわけだが、これは日本人がおめでたいからである。巻末に収録されているあるバージョンから一部分を抜粋しよう。

70 would be non-white / 30 would be white
70 would be non-Christian / 30 would be Christian
89 would be heterosexual / 11 would be homosexual
6 people would possess 59% of the entire world's wealth and all 6 would be from the United States

 この並べ方からは、この文章を作った人の立場と意図、「us vs. them」のメンタリティがはっきりと見て取れる。その後、マルチカルチュアリズムとポリティカル・コレクトネスを考慮して文章はいくぶん変えられたが、その根本にある選民思想は、このチェーンメールのあり方そのものにしっかりと埋め込まれていて変更不可能である。

 なお、このチェーンメールの統計データはクラスター分析をしていないのがダメだという言い方がありうるのだが、これまでに書いてきたことから、その指摘が無意味であることは明らかだろう。このメールの受信者は、自分がすべての二分法において幸せな方に入ることが保証されている。これは、そのような人々のコミュニティの中で流通するように設計されているチェーンメールなのだ。そのようなチェーンメールが、私には、一通も届かなかった。

2002/6/17

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