学力低下論争

市川伸一 / 筑摩書房 / 2002/08/20

★★★

まとめはうまい

 著者は『学力危機』で、和田秀樹との対談を行っていた人。本書は1999年以降の学力低下論争の経緯を、論争における非主流派の立場からまとめた本。

 著者は、この論争に関わった人々を、「学力低下を憂慮するか、楽観するか」(x軸)と「教育改革路線に反対するか賛成するか」(y軸)の2次元平面上に配置している(16ページ)。和田秀樹や日本数学会の人たちは左下に、文部科学省の寺脇研は右上に位置することになる。そして著者は、この論争がこの2つのグループ間の対立として理解されがちなことを嘆き、自らを左上の象限、つまり「学力低下を憂慮するが、教育改革路線に賛成する」立場に位置付ける。上で「論争における非主流派」と書いたのは、その意味である。

 今回の論争の目新しさは、世論の揺れ動きの中で、左下に位置する人々の主張が通りやすくなった点にある。左上の象限の立場は、『東大生はバカになったか』の項で触れた、大学生の学力低下をリベラル・アーツ教育で食い止めようとする従来から存在する立場と同じであり、新鮮みに欠けるのは仕方がない。

 中央教育審議会に関わった自らの体験をもとに、文部省の態度のぶれを報告している部分は興味深い。

 なお、第4章「論争をひもとく」に、『機会不平等』と同じ路線の陰謀説がある。具体的には、公教育における「ゆとり教育」の推進により、私立校や塾などのプライベート・セクターの新興をはかる意図が(誰かに)あったのではないか、ということだ。しかし、私立校や塾の公教育に対する(子供、子供の親、そして社会一般から見たときの)優位性は、いまの教育改革路線が始まる前からあったわけだ。その状態で公教育の「ゆとり教育」化を進めれば、格差がいっそう広がることは最初からわかっていたはずである。そんなこともわからずに、「ゆとり教育」を議論していたのだろうか。それとも、国家がプライベート・セクターに対して強力な統制をかけることを期待していたのだろうか。たぶん後者なのである。それはもう日本では無理でしょう。

2002/9/1

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