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情報操作とボスニア紛争

高木徹 / 講談社 / 2002/06/30

★★★

内容は興味深い

 著者はNHKのディレクター。NHKスペシャル『民族浄化』(未見)で話題を呼んだ内容を本にしたということらしい。ボスニア紛争において、アメリカのPR会社が果たした役割がどんなものだったかを描いている。

 バリー・レヴィンソンの『ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ』は、ダスティン・ホフマン演じるハリウッドの映画プロデューサーが、大統領を窮地から救うために情報操作を行うという話だった。こういうタイプの陰謀史観は古くからある形式であると言える。また、他国がアメリカにおける地位を改善しようとして行う活動は、「ロビイング」と呼ばれるごく当たり前の活動である。本書で取り上げられているケースの特異性は、アメリカとはほとんど関係のない異国の地での内戦(という言葉は不適切かもしれないが)を有利に運ぶために、当事者たちがアメリカのPR会社を雇って、アメリカ国内での政治と世論を動かそうとしたこと、そしてこれらのPR会社が、主義主張とはまったく関係なしに、単にビジネスとしてそのような業務を引き受けているという点にある。具体的には、ルーダー・フィンというPR会社が、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国をクライアントとして活動を行い、アメリカ国内でのPRの重要性を理解していなかったせいで出遅れたセルビア共和国側に勝った。セルビア側がこのボスニア紛争で負けたことは、後のコソヴォ問題にまで尾を引いたと考えられるから、歴史の流れをそうとう大きく変えたことになる。

 ボスニア紛争やコソヴォ問題において、セルビア人側が一方的に悪者として理解されていることに対する違和感を書きつづった本としては、『ユーゴスラヴィア多民族戦争の情報像』が強く印象に残っている。あの本の著者も、西洋のメディアのバイアスにこれほどわかりやすい理由があるとは思わなかったに違いない。ある意味で、このことはセルビア人たちにとっては朗報である。「なぜ世界は私たちのことをわかってくれないのか?」という疑問に明解な答えが与えられたわけだから。

 なお、この時期から流行語になった民族浄化(ethnic cleansing)という言葉は、昔からあったセルボ=クロアチア語を原語とする翻訳語で、ユダヤ人に反感を抱かせる「ホロコースト」という言葉を避け、それと同等のインパクトを与えうる言葉として、戦略的に宣伝されたとのこと。

 近未来SFでは、実際の戦争の代わりに何らかの競技を行う世界という題材が使われることがあるが、それに近い現実が登場したと言えるかもしれない。英米のメディアと政界を舞台にしたイメージ戦争である(日本のメディアはまったく影響力がないためアプローチもされなかったとのこと)。局地紛争がこうやってグローバル化されたことによって、たぶん実際に死傷者の数が抑えられ、相対的には「平和的な解決」が行われたということになるだろう。紛争の全当事者がそれぞれ優秀なPR会社を雇い、その助言を真剣に受け入れるならば、戦争は平和的に解決される可能性が高まる、と今後このマーケットを狙うPR会社は宣伝するだろう。「私たちは戦争をグローバル化することによって人類に貢献します。互いに相手陣営の落ち度を宣伝することが、不法行為に対する抑止力になります」と。

 著者の興味がそこにまったくないからそうなったとも考えられるが、本書には「パブリック・オピニオン」の話がまったく出てこないのが面白い。すべてはPR会社とメディアと政治家と官僚の間の情報の流れによって決まったように描かれている。実際、今回のように国内に強力な圧力団体がなく、上下院の選挙や大統領選挙の題材としてホットにもならないような題材では、普通の意味での世論の影響はあまり大きくならないのかもしれない。市民のメディア・リテラシーはこのようなケースではまったく無意味である。

 本書は興味深いテーマを追ってはいるが、日本のノンフィクションにありがちな視点の定まらない記述が随所に見られ、あまり質の高いものではない。また、PRのターゲット、特にメディアに対する視線がどうもすっきりしない。なぜメディアがこうも簡単にPR戦略に屈してしまうのかが一番問題となるところなのだが、記述の大部分がPR会社側の主張をベースにしており、メディア側の言い分はほんのちょっとのお座なりな釈明が出てくるのみ。というか、この本まるごと(見てないからわからないが放送された番組も)、PR会社の宣伝にまんまと乗せられているんじゃなかろうかと思ったことだった。なんか賞を受けたようだが、『ダイエー: 脅威の経営術を学ぶ』みたいなタイトルのビジネス書とそれほど変わらない。

2002/10/12

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