黒人アスリートはなぜ強いのか?

その身体の秘密と苦闘の歴史に迫る

Taboo: Why Black Athletes Dominate Sports and Why We're Afraid to Talk About It

ジョン・エンタイン / 創元社 / 2003/04/10

★★★★

興味深いテーマではある

 原題が示すように、黒人が一部のスポーツで強いのには遺伝的な要因があるはずなのだが、そのことがアメリカ社会でタブーとなっているということを論じる本。著者はジャーナリスト。

 日本人にとって、スポーツの分野によって「人種」の向き不向きがあるということは常識だろう。普通の日本人にとってのオリンピック競技鑑賞は、日本人選手が、生まれながらの資質という点での圧倒的な不利さを、その不屈の精神力で克服する(あるいは克服できない)のを見て楽しむという行為である。そういうわけだから、100m走の上位を西アフリカ出身の選手が独占していても、NBAで黒人ばかりが活躍していても、素直に「まあ黒人は強いからな」と思って納得しているはずだ。しかしアメリカでは、それを言うと大変なことになる。本書はそのタブーに挑戦するという趣旨で書かれた本である。

 これがタブーになっている理由は、主に2つ。まず1つ、「NBAに黒人選手は多いが、チームのオーナーは白人ばかりだ」というような言い方がある。白人が黒人のスポーツをさせ、それを鑑賞して楽しんでいるという図式が、過去の奴隷制を思い起こさせるわけだ。この論理の流れは、黒人は社会的に不利な環境に置かれており、スポーツでしか身を立てることができない人がいっぱいいるから、有能な選手が多く出てくるのだ、という形にもなる。もう1つは、「黒人が強いのは、白人よりも動物に近いからだ」というタイプの人種論を思い起こさせること。この人種論は、「黒人はもともとスポーツに向いているから、楽して強くなれる。一方、白人は不利な立場に置かれているのだから、同等な強さだったとしたら、黒人よりも白人の方が偉いのだ」という形にもなる。上に書いた日本的な精神論とパラレルである。

 日本においては、在日コリアンに芸能人が多いということが、似た形式のタブーとなっている。「在日コリアンは機会を奪われていて芸能界のようなヤクザな商売に手を染めざるをえないのだ」という論理と、「日本人にとって半島からの渡来人はもともとかっこいいのだ」という論理がある。ただし、白人の中の黒人は目立つということと、スポーツマン精神(不利な立場を精神力で克服することがスポーツの神髄だ、みたいな)のファクターが入ってくるという違いはあるが。

 まあ、議論ご苦労さまとしか言いようがない。

 ちなみに、『ハード・プレイ』という映画の原題は"White Men Can't Jump"で、けっこうバスケットボールが上手な白人のウッディ・ハレルソンがどうしてもダンクを決められない様子がエンディングのシーンに使われている。『セイブ・ザ・ラストダンス』という映画は、黒人の方が白人よりもヒップホップ・ダンスがうまいことがテーマだ。

 本書は、いくつかのデータを引用はしているものの、全体的に科学的/生物学的な側面は弱く(そういう研究がほとんどないのだから仕方がないのだが)、タブーがどのように形成されてきたかを論じているところに強みがある。女性アスリートについての章もあるが、これは過去において女性のスポーツの世界では白人が優位だったように見えたのは、共産国で行われていたドーピングのせいであり、その要因を除けば、女性でもやっぱり黒人が強いはずだという議論を行うための手段だった。

 人種という観点から見たスポーツ史の本として、面白く読めると思う。

2003/4/27

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