コウモリであるとはどのようなことか

Mortal Questions

トマス・ネーゲル / 勁草書房 / 89/06/20

★★★★

平易だが構成上脈絡なし

 タイトルから連想するような内容とはかなり違っていて、どちらかといったら倫理学の話だった(ノージックとパーフィットへの言及が散見される)。1つの章で1つのトピックを取り上げる柔らかめのエッセイ集。章のタイトルは以下のとおり。「死」、「人生の無意味さ」、「道徳における運の問題」、「性的倒錯」、「戦争と大量虐殺」、「公的行為における無慈悲さ」、「優先政策」、「平等」、「価値の分裂」、「生物学の埒外にある倫理学」、「大脳分離と意識の統一」、「コウモリであるとはどのようなことか」、「汎心論」、「主観的と客観的」。

 これまであまり目にしたことのないトピックをいくつか。

 「性的倒錯」は、性的倒錯という概念を確立しようというかなり無理めの話。性欲、というよりも性行動を、サルトルに似た感じで理解し(パートナー同士が「相互人格的な性的認知」を行う過程として捉える)、このようなプロセスが欠如している性行動を倒錯と呼ぼう、と言っている。へぇ、と言うしかない。面白いことに、性行動が倒錯的かどうかと、それが道徳的かどうかは別の問いである、としている。さらに、「道徳の問題は別にして、非倒錯的なセックスが倒錯的なセックスよりも必ず好ましいものであるかどうかも、はっきりしていない」、といい、「性的完全性」なるものさしの導入を示唆している(詳しくは論じていない)。もっと面白いのは、「最後に、たとえ倒錯したセックスがその点において通常のセックスよりよくないものだとしても、悪いセックスも、一般的に言って、まったくないよりはましである」という功利主義的(?)な倫理学の面目躍如たる見解がある。個人的には、これほど「性的倒錯」という概念に効用がないのであれば、わざわざそれを確立する必要はないんじゃないか、と思う。それよりもたとえば「性的完全性」の方がずっと重要なんでは?

 「戦争と大量虐殺」は、ベトナム戦争がまだ進行中だった頃に書かれた文章らしく、反戦運動(もちろんアメリカにおける)にどのような根拠を与えるか、という問題意識のもとに書かれている。興味深いのは、アメリカが戦争をすること自体は肯定的に評価しながらも、ある種特定の攻撃方法(核兵器とかナパーム弾とか生物化学兵器とか)を使うのはよくない、という結論を出せるような論理を組み立てようとしていることである。その結果出てくるのは、「騎士道」とか「武士道」とでも表現すべき一騎討ち思想。ものすごく悲惨な状況に追い込まれて書いている、という感じがする。太平洋戦争の日本人の肉弾攻撃の美徳をようやく理解してくれたか! が、しかし、これは現在の地雷反対運動をやっている人々が暗黙のうちに持っている考えそのものだろう。個人的にはとても胡散臭く感じる。

 「公的行為における無慈悲さ」。公務員が公務として行った活動の道徳的責任を(それほど)負わずに済むように見えるのはなぜかを論じている。ベトナム戦争に荷担した公務員にはっきりとした罰が与えられなかった、という問題意識が背後にある。

 「優先政策」。アファーマティブ・アクションの道徳的な正しさを擁護することを目的とした文章。逆差別の可能性を主張する白人の論理に対する反論である。なんとこれに対する答えは、現在のシステムが個人の知的能力に基づいた不公平な配分を行うシステムであり、もともと不正義であるから、アファーマティブ・アクションを実施しても「深刻に不正義である」とは言えない、というもの。

 アファーマティブ・アクションに関する章は、社会における配分という古典的な問題だが、その他の3つは、直感的に同意されていることに無理矢理理屈を付けているという印象である。もちろん『正しく生きるとはどういうことか』よりはずっとずっと洗練されているのだが、この『コウモリであるとはどのようなことか』は、それぞれのトピックが分断されていて、しかもカバーする範囲が広いので、論理がアドホックに適用されているという印象を受ける。

1998/7/20

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