ウィトゲンシュタイン

言語の限界

飯田隆 / 講談社 / 97/09/10

★★★★★

文学作品とでも言うべき伝記+解説書

 講談社の『現代思想の冒険者たち』シリーズの07巻。ウィトゲンシュタインの伝記であり、それに沿って彼の思想を解説する本。永井均の『ウィトゲンシュタイン入門』が文芸評論であったのに対し、こちらの方は普通の解説本であろうとつとめているように見えるが、それだけでなく、これは文学作品であると断言しておこう。

 たとえば、ウィトゲンシュタインが1926年4月に、オーストリアの小さな村で生徒を殴って教師を辞めた後の行動に関する記述(p.132)。

もう一度、一九二六年の春の時点に戻ろう。試練に立ち向かえず恥ずべき行為に出てしまったとき、そして、そのことが自分に対してもまったく申し開きのできないものであると深く感ずるとき、ひとはどうするだろうか。本能的に身を隠そうとするだろう。とりわけ、自分を以前からよく知っていて信頼していてくれている人々と対面することを怖れるだろう。ケインズ宛ての手紙でウィトゲンシュタインは、自分が教師をやめるようなことになったならば、イギリスに行って職を探すだろうと書いていた。しかし、この状態では、イギリスの友人たちに会うことなど論外であろう。また、ウィーンの家族のもとに顔を出すこともできない。結局のところ、ウィトゲンシュタインは、ウィーン郊外のヒュッテルドルフの修道院での庭師の仕事に避難所を見出した。

 なんと美しい文章だろう、と思った。この人にはミステリ小説を書いてもらいたい。きっと現代的なハードボイルド小説が書けるはずだ。ミッチェル・スミスとかリンダ・ラ・プラントに匹敵するようなものになるだろう。

 ところで、このような美しい文体が哲学の解説書や入門書に適しているのかどうかはよくわからない。『言語哲学大全』も、その言葉の美しさに感動する方が先に来て、理解するのを忘れることがあるぐらいだ。

 本題であるウィトゲンシュタインについて。遺稿の出版がまだ進行中である、ということを知らなかった。なんとまあ巨大な謎であることよ。が、しかし、私にとってはウィトゲンシュタインよりも飯田隆の方がずっと重要であるように思える、といったら顰蹙ものなんだろうね、やっぱり。

1998/7/20

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