人間対機械

チェス世界チャンピオンとスーパーコンピューターの闘いの記録

A New Era: How Garry Kasparov Changed the World of Chess

ミハイル・コダルフスキー、レオニド・シャムコヴィッ / 毎日コミュニケーションズ / 98/05/01

★★★★★

感動的な記録

 1997年5月、ガルリ・カスパロフとIBMのDeep Blueの2回目の対戦でDeep Blueが勝ち越し、コンピュータがチェスの世界チャンピオンを初めて破るという記念すべき出来事が起こった。この本は、カスパロフの陣営(コダルフスキーはカスパロフの友人で、セコンドをつとめた)から見たこの闘いの記録である。カスパロフによる序文のあと、第一部は1995年の世界チェス選手権でのカスパロフ対ヴィシュワナータン・アーナンドの試合に関する記録、第二部は1996年のカスパロフ対Deep Blueの試合に関する記録、第三部は1997年のカスパロフとDeep Blueの再戦に関する記録である。

 まず序文で、このカスパロフという人の魅力がはっきりとわかる。国際チェス連盟(FIDE)に対抗してプロフェッショナル・チェス・アソシエーション(PCA)を興した経緯に関する説明と弁明なのだが、この人が単にチェスが強いだけではないことがよくわかる文章なのだ。

 第一部は、人間対人間の試合に関するドキュメントだが、ここの部分が残りのDeep Blueとの対戦を読む上で非常に重要な役割を果たしている。つまり、現在の世界トップ・クラスのチェスの試合が、いったいどのように行われ、どのようなレベルで駆け引きが行われているのかがわかるのである。

 第二部の1996年の試合ではカスパロフ側が勝ったが、第三部の1997年の再戦ではDeep Blueが勝った。そしてこの本の主眼は、再選でのDeep Blueの勝利が、もっぱらIBM側の心理戦によって実現したものだった、つまりあれはフェアな闘いではなかったという主張にある。この本はカスパロフ陣営の手によって書かれているので、その分を割り引かなければならないけれども、公平に考えて、このような主張を許すような余地を作ってしまったということだけでも、IBMの落ち度となるだろう。

 人間対コンピュータのチェスで、コンピュータ側が必ず勝つようになるのは時間の問題だろう。この本を読む限り、現時点で人間がDeep Blueよりも優れているのは、ボード上の陣形の優劣に関する直感的な判断だけといってよい。そして、再戦に臨んだDeep Blueは、この陣形に関する教育がある程度強化されていたので、カスパロフと互角またはそれ以上の闘いをすることができたということになる。陣形の判断が定量化の難しい課題であることは間違いないが、この部分はエキスパート・システムの部分の改善によって、今後も強化される一方にちがいない。

 この本を読んで改めて思ったことだが、「コンピュータがチェスで人間に勝つ」という言い方そのものに問題が含まれている。第一部の記述からも明らかになるが、現代のトップ・クラス・レベルでのチェスとは、プレイヤーを中心とした複数の人々の集団が、数週間にわたって20局を繰り返してプレイするという長期戦なのである。しかし、ふつう「コンピュータがチェスで人間に勝つかどうか」という文は、このようなニュアンスよりも、1局(あるいは個々の局)の勝敗のことを指しているように思える。この本では、IBM側が行ったアンフェアな心理戦が批判されているが、もし上記の、人間対人間のチェスの定義を採用するならば、IBM側の行為はそれほど批判するにはあたらない。むしろ、開催者が中立的な組織でなかったということと、おそらくは、IBM側がチェスの試合における(カスパロフ側が思っているような)フェアネスの水準をちゃんと理解していなかったということが批判されるべきなのだ。後者には、(再戦の時点のバージョンの)Deep Blueが公式な試合をやっていないこと(したがってカスパロフ側にはデータが何もない)、Deep Blueのブレーンの構成員に関する情報がちゃんと公開されなかったこと(グランド・マスター級の人が何人か協力したらしい)などが含まれる。本書でも指摘されているように、Deep Blueをこの意味でのチェスの舞台に本当に上げたいのであれば、世界選手権クラスの試合に繰り返して参加するという形態を取るしかないだろう。そういう意味では、1997年の試合はエキシビジョン・マッチという程度の意味しかない。

 だがしかし、もともとチェスをそれ自体として目的とはしていないIBM側にしてみれば、Deep Blueを世界選手権クラスのプレイヤーとして継続的に稼働させる動機付けもないだろう。

 もう一つ興味深かったのは、カスパロフがDeep Blueを「攻略」しようとしているところである。これは小学生がやるファミコン・ゲームの攻略を物凄く高いレベルでやっているようなものなのだが、この本を読む限り、カスパロフ側は十分な情報をもって攻略を行ってはいない。Deep Blue側にグランド・マスター級のチェス・プレイヤーがブレーンとして付いていたのだから、カスパロフ側はコンピュータ・チェスの研究家をブレーンとして付けるべきだった(フレッド・フリーデルがそれに該当するかもしれないが、ACMが主催しているコンピュータ・チェス大会の準優勝チームをまるごと付けてもよいような気がする)。

 この「攻略」がチェスにとって本質的なものなのかどうかという問いは興味深い。第一部を読む限り、チェスの試合は、対戦相手に関して収集しうるすべてのデータを集めて行うものだし、対戦が始まってからも、1局ごとのフィードバックをもとに戦略を微調整していくものなのだ。だから、チェスの試合は互いを攻略しあうものだといってよい。相手がコンピュータであっても変わりはないだろう。これは特に、陣形を評価するエキスパート・システムの訓練を、人間の優れたチェス・プレイヤーが担当するようになったら、特に重要になるのではないだろうか。チェス・ゲームの組み合わせの爆発にかなりの精度で対応できるようになる日はまだ遠いと思われる。それまでは、特定の人間と特定のコンピュータ・プログラムの組み合わせが1つのプレイヤーとしてチェスの試合を行うという形態がふつうになるだろう。コンピュータの支援を受けずにチェスをやっていた時代があったなんて! という時代はもうすぐ来る。

 ちなみに、人間の知性のシミュレーションを本当にしたいのだったら、チェスよりも麻雀の方が題材としては適している(別に人生ゲームでもモノポリーでもよいが)。コンピュータがチェスで常勝しても別に当たり前という感じがするが、麻雀が強いコンピュータが現れたら、本格的に脅威を感じるべき、である。

1998/8/6

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