フルハウス 生命の全容

四割打者の絶滅と進化の逆説

Full House: The spread of excellence from Plato to Darwin

スティーヴン・ジェイ・グールド / 早川書房 / 98/07/20

★★★

素人向けの啓蒙書

 グールドの嫌味なところがかなり表に出てきている啓蒙書。

 大リーグに四割バッターがいなくなったのは、大リーグのプレイヤーたちの全般的なスキルが向上した結果、打率の分散が減ったためである、と指摘する。ちなみに、平均打率はルールの変更によってほぼ一定の値(2割6分)に保たれているそうだ。そして、世間に流布する、進化に「進歩」を見て取る考え方に反論し、生物界が複雑な方向へと「進歩」してきているように見えるのは、ランダムに起こる多様化の一番複雑な枝にだけ目をとらわれがちだからに過ぎない、と言う。

 「四割バッターの絶滅」の問題について。こんなの当たり前のことだと思うが。それから、グールドが否定している、「投手と野手のスキルを含む、野球の守備の技術が向上したから」という言い方も、本当は否定できないんじゃないか? グールドの悪い点は、「世間に流布している見解」の物凄く駄目な部分を取り上げて、それに行き過ぎの反論をすると学会的なところである。この本で扱っている話題に関しても、分散が減ったことの大きな理由の1つに、守備技術の向上があることは明らかなのにもかかわらず、あたかもその説が本質的に間違いであるかのように述べている(ような印象を私は受けたが、どうだろうか)。

 ちなみに、たとえばパンクラスという「プロレス団体」の歴史を見るだけで、この問題の本質はすぐにわかるだろう。パンクラスの創設当時は、1分以内に終わる試合が多々見られ、「秒殺」と呼ばれて高く評価されていた。しかしいまでは制限時間ぎりぎりまで戦って判定という試合の方が圧倒的に多く、「秒殺」は事情を知らない外国人レスラーに対してしかできないようになっている。もちろん、誰もレスラーの攻撃技術が退化したなどとは言わない。基本的には、防御技術が発展した(守備)ということと、秒殺ばかりでは興行形態としてまずいという一般的な認識が選手間にも生じた(ルールの変更に該当する)ことが、その理由とされている。

 別の例として、K-1と呼ばれる打撃格闘技と、普通のキック・ボクシングの試合を比較してみてもよい。K-1はKOで終わる試合が多いということから人気を博したとされるが、これは参加選手のスキルがばらばらだったからに過ぎない。スキルが全体的に向上すれば、(ルールに大きな違いがない限り)普通のキック・ボクシングと同じような試合になるのは間違いない。

 そういうわけで、本書の四割バッターの絶滅に関する記述を読んで、「おお、そうだったのか!」と感動するような人は、よっぽどモノを知らない人だとしか思えないわけだ。いまさら何を言っているの、という感じ。

 進化のランダムネスを強調している部分についても問題がある。もちろん進化を進歩の同義語として理解するような間違いは徹底的に批判されるべきだろう。しかし、人が「進歩」という言葉を使っていることの背後には、それなりの理由があるわけで、その部分をいかにしてくみ取るかということが問題なのであり、「進歩」という言葉を使うのを禁止するということでは問題の解決にならない。

 15章の、人間の文化についていろいろと論じている箇所には、きわめてグールドらしい反動的な文章が詰まっている。まあ別にいいんだけど。

1998/8/7

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