黒船の世紀

ガイアツと日米未来戦記

猪瀬直樹 / 文藝春秋 / 98/09/10

★★★

着眼点はよいのだが

 1993年に小学館から単行本として出版されたものが、文春文庫になったもの。

 ペリーの来航を出発点に、太平洋戦争の前に、日本とアメリカで(一つ英国があるが)出版された「未来戦記」を取り上げて、太平洋戦争が実際に起こるまでの歴史を見るという趣向の本。非常に面白そうな題材だが、文章が日本のノンフィクション風で、信頼性を落としている。

 さて、西暦2050年頃になって、1980年代以降の日米貿易摩擦を研究する歴史家が、『NOと言える日本』という本を古本屋から見つけ出してきてその内容を紹介したとしよう。いまのわれわれからすると、このアプローチには相当の違和感があるけれども、まあそういうアプローチもあってはいいではないかということでとりあえず認めた場合に、どのような留保を付けなければならないかということを考えると、この『黒船の世紀』という本には幾多もの問題があることがわかる。『敗戦後論』という本は、いってみれば『NOと言える日本』に書かれている内容をそのまま当時の日本人の意識として理解するという、まあお話にならない論法を使っていた。この『黒船の世紀』はそこまで愚かではなく、著者の経歴や、時代の風潮などをちゃんと追っており、本の内容よりもむしろ著者と時代の方に焦点を合わせている。しかし、それだからこそかえって、本当に知りたいことからピントがどうしてもずれてしまうことが苛立たしく感じられるのだ。では知りたいこととは何か。要するに、これらの「未来戦記」とそれを支える時代背景が、実際の太平洋戦争の勃発あるいは遂行あるいは終結にどのような影響を与えたか、ということだ。これを理解するためには、ぱっと思いつくものでも、次のような事柄を知っておかなくてはならないように思う。

 未来戦記は政策決定者に果たして何らかの影響を与えたのか。未来戦記は当時の一般的な国民にどのように受け止められたのか。未来戦記が政策決定者あるいは国民に何らかの痕跡を残したとして、それは太平洋戦争の勃発前、勃発時、遂行時、終結時などに変容したのか。などなど。

 こういった事柄は調査するのが難しいだろうし、不可能な場合もあるだろうと思うけれども、これらの情報がないと一連の未来戦記を本来あるべきコンテキストの中で理解するのは、(私を含む)普通の読者には難しいと思う。

 前述の架空の未来の歴史学者が、『NOと言える日本』を取り上げて石原慎太郎の生い立ちを記述し、ウォルフレンの本を取り上げてウォルフレンの生い立ちを記述し、新聞に掲載された書評を紹介し、それらを時系列的に並べてお話を作ったとして、いまのわれわれが真面目に読む気になるレポートができあがるとはとうてい思えない。もちろん、歴史はこういうふうに作られるわけなのだが。かといって、著者の猪瀬直樹がこの本で何か歴史を作ったかと問われると、各個人の伝記的部分を除けば特になさそうなのだ。ひょっとしてデータマンが集めた生データが一番面白く有用だったんでは?

1998/9/17

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