Japan: A Reinterpretation

Patrick Smith / Pantheon Books / 97/04/01

★★★

どうにも扱いに困る日本紹介本

 著者のPatrick Smithはアジアで14年を過ごしたというジャーナリスト。"The Nippon Challenge: Japan's Pursuit of the Americas Cup"という著書がある。

 ライシャワーが欺瞞的な日本像の創造に荷担したということを批判するリビジョニストたちの仕事を評価しながらも、彼らの見解が(アメリカ内で)表面的にしか広がらなかったために、別のタイプの問題が生じた。日本を理解するためには、もっと細かいところに目を向けなければならない、という立場。ポスト・リビジョニズムとでも言うべきだろうか。背表紙にはChalmers Johnsonによる讃辞がある。

 これを読んで非常に複雑な心境になった。第1章の"The Invisible Japanese"は、アメリカの政策が戦後日本の分裂病的状態をいかにして作り出したかということを論じていて、この部分は非常に納得のいく記述なのだ。しかし、その後の、日本の社会や歴史を紹介する部分は、なんというか「丸山史観」とでもいうべきか、とっくの昔に無効になっていたと思っていたイデオロギーのひきうつしなのである。私は自分のことをmoderate liberalぐらいに位置づけていたけれども、さすがに延々と続く記述を読んで、こういうのを(仮に日本人が書いていたとすれば)「自虐史観」と呼びたくなる気持ちが少しわかった。

 最近の日本史、特に江戸時代に関する研究の成果がまったく反映されていないところが気にかかった。単に「封建的圧政の時代」というラベルを付けて終わりである。ただし、近年の日本で起こっているように思われる江戸時代の再評価は、この著者に言わせれば、自分の過去をまともに見つめることができないという日本人の特徴のもう1つの現れであるということになるのかもしれない。

 扱っているトピックの範囲は非常に広い。在日朝鮮人問題、フェミニズム、被差別部落、都市と地方の関係、サラリーマン、労働組合運動などなど。それらがいずれも、新聞記事のタイトルのような表面的なレベルで扱われているのがなんともやりきれない。そこそこ取材はしているのだが、著者の頭には最初から結論があって、その鋳型に押し込めているだけである。

 勘違い本として片づけてしまってもよいのだが、単に放っておくのもまずいのかもしれない。

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 なぜか第1章がまるごと

 表紙写真あり

 Business Weekの書評

1998/9/26

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