進歩主義からの訣別

日本異質論者の罪

榊原英資 / 読売新聞社 / 96/06/11

信用できないオーラを発散

 著者は大蔵官僚。副題は「日本異質論者の罪」。タイトルの進歩主義とは、新古典派経済的な発想で行われる日本批判の原理となっているタイプの「進歩主義」。若い頃にアメリカに留学し、官僚になって、官僚組織の中で、日本的やり方を論理的に擁護しなければならないという立場に立たされるとこういうものを書くようになるのか、といった感じです。

 いや実際、この人が書いている内容は、当を得ている部分もあるのだろう。たとえば、日本における政策の決定は、欧米の批判者がいうほど官僚主導ではなく、政党との間の調整が行われているとか、いろいろな統計情報を見ても、異質なのはむしろアメリカであり、日本はヨーロッパとアメリカの中間に位置する側面が多いとか。しかし、こういう主張がすべて空しく聞こえるのはなぜなのか、ということを、著者は考えなくてはいけないだろう。いくつかポイントがある。

  1. 今西錦司を持ち出してはいけないでしょう。ダーウィニズム的な世界観によって行われるグローバリゼーションとは対照的な棲み分けと理論が、とか言われても困ってしまう。この本にはこういう部分が多い。とにかく何かしら他の世界で有名な理論とか人名を持ち出すと、それだけ自分のお話の根拠になるだろうという錯覚。おそらく異業種交流会で勉強会とかやるとこうなるのだろう。
  2. 文章が下手。これはきわめて初歩的なレベルでの下手さで、もちろん文章の下手さは内容の浅薄さのインディケータではないにしても、文章に教養が感じられないということが、こういう何かしら押しが強くなければならない主張をする上で、大きなマイナスになるのは仕方がない。

 実際のところ、素朴なグローバリゼーションというか、新古典派モデルによる貿易の推進は、十分に批判の余地があるところであって、そこを突くのはきわめて正しいと思うのだけど、その批判と、この本全体の主張がどうもうまくマッチしていないように思われる。本全体の主張にはたしかに納得しうるところもあるのだけれども、現在の大蔵省の方針との整合性があるかというと、これまたない。

 というわけで、あちらこちらに注目すべき論点はあるのだけれども、それらの論点を、(1) 1つの姿勢にまとめることができていない、(2) 現在の官僚の姿勢との整合性を示すこともできていない、という、要するにpoorly-writtenとでも形容すべき本なのでしょう。

 この人が大蔵省国際金融局長だって? 仕事が忙しすぎて、大学出てからこのかた勉強する時間がなかったのでしょうか。

1998/3/25

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