西欧の植民地喪失と日本

オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所

Het Oostindisch Kampsyndroom

ルディ・カウスブルック / 草思社 / 98/09/10

★★★★★

オランダの自虐史観か! 素晴らしいエッセイ集

 著者の経歴を引用。オランダの著名な評論家、エッセイスト、コラムニスト。1929年にオランダ領東インド(現インドネシア)に生まれ、42年、オランダ軍の降伏により、スマトラ島の日本軍民間人抑留所に収容される。46年、オランダ本国に引き上げる。

 原著の"Het Oostindisch Kampsyndroom"(『オランダ領東インド抑留所シンドローム』)は570ページにわたる自伝的エッセイであるらしい。この訳書は、そのうちの「日本人読者向きに選び出した一四節」を訳したものである(うち1節は別の著書『再び生国の土を踏んで』からとったとのこと)。この本が(たぶん)1995年に書かれているということからもわかるように、オランダではいまでもこの「東インド」という話題が微妙な位置にあるらしい。

 とりあえず著者と訳者を賛美しておきたい。ヨーロッパ的な骨太の知識人の書く文章というものを久しぶりに読んだ気がするし、訳者の訳も素晴らしい。無理かもしれないが、この本を全訳してくれないものだろうか。

 オランダの第二次世界大戦の記憶のなかでの、東インドの置かれている位置の微妙さは、簡単には説明できないほど微妙ではあるようなのだが、少なくともこの著者の抱いている感慨は、私のような日本人が、そうであって欲しいと願うぐらいに公平で健全である。著者はたとえば、日本軍が東インドに侵攻したときに、オランダ軍があっさり降伏してしまったことについて、オランダ人の間に、自分たちがこともあろうにアジアの猿に負けたことの悔しさがあることを指摘している。この点について、普通の日本人はおそらく、西洋人一般なるものを想定して、西洋人のこのようなコンプレックスは日本が無条件降伏したことによって完全に解消されたと思っているものと思う。しかし、オランダの場合はどうやらそうではなく、1942年に東インドのオランダ軍が降伏したということがどうやらまだ強く意識に残っているようなのだ。日本の降伏後、インドネシアの民族主義者たちは独立宣言を行い、それを認めなかったオランダとの間で4年間ほど戦争を行うのだが、1949年に正式にインドネシア連邦共和国が作られ、1950年には完全な独立国であるインドネシア共和国が成立する。つまり、オランダ人から見ると、東インドは、日本の手で奪われた後に、二度と以前と同じような形で自分のもとには戻ってこなかったのである。かつての海洋大国であったオランダを、ヨーロッパの小国の位置に落とす最後の一撃だったといえるのかもしれない。

 自分たちがこともあろうにアジアの猿に負けたということに対する憤りは、日本人が少なくとも自分たちよりはインドネシア人たちと心を通わせているという事実によってますます複雑になる。日本の意図にどれほど問題があったにせよ、日本軍が占領後にインドネシア人の政治犯たちを監獄から解放したことは事実なのだ。いまの日本で、大東亜戦争はアジア解放戦争だったと日本人が主張すれば、バカというラベルを貼られることは間違いないのだが、(少しでも誠実な)オランダ人にはこの主張を良心の呵責なく否定しさるのは難しい。この点について、ヨーロッパ大陸で戦われた第二次世界大戦での立場のように、一方的な正当性を主張するのは難しいのである。

 私は残念ながら、いまのオランダにおいて、この著者のような見解がどの程度普及しているのかを知らないが、本書のはしばしから、日本にもあるような論争が起こっていることが見て取れる。

 さて、この本を読んでいて思ったのは、日本人がこの本を「利用する」ことの危険性である。いまからでもバカな人たちがこの本を大東亜戦争の正当性の根拠の1つとして利用する姿が目に浮かぶようだ。そういうことをするのは冒涜であるとはっきりいっておきたい。

 この本の素晴らしいところの1つは、これが「自伝的エッセイ」と表現されているように、著者が子供の頃に過ごした東インドの風景が、上記のようなさまざまな問題を織り込んで、なおかつ懐かしいものとして回顧されている点である。「ジャングルのキャビア」という小文に、著者がアサハン川にかかる鉄橋の枕木を跳んで遊んだことの記憶が記されているけれども、この部分などは著者が名文家であること(そして訳者がいい腕であること)をはっきりと示している。

 個人的に、最も心をうたれた部分。「あるギリシャ悲劇」という小文で、アメリカ人、アグネス・キースの『三人は帰った』が一つの謎を解く手がかりを提供しているということを指摘している。その謎とは、「日本軍はいったい何にとりつかれて、いま自分の子供に優しくしていたかと思ったら、つぎの瞬間にはたわいもないことに途方もない罰を科せるのか。この気まぐれをどう説明するのか。何ゆえに捕虜や被抑留者をあのようにあつかうのか」ということである。以下、94ページから引用。

「きみら白人の高々とした跳躍はもう終わったぞ」と私たちにわからせるという目的、つまり復讐の要素が日本人の態度にあったことははじめから明らかだったが、次第に、いやそれだけではない、他の何かが関係している、とキースにはわかってくる。背理的なことながら、これといった意味もない私たちのちょっとした動作に、日本国および日本軍を侮辱するものだと猛りたつ日本人の、その刑罰および残酷行為の背後には、"よく思われたい"という願望があるのである。有能な人間として見られたい、よい人だと思われたい、温厚にして公平寛大な人間に見られたいという願いである。そこで、そのようにならないと、それならばと殴打し、罰して強制する、という行為に出たのだと、キースは見てとる。
ここに地獄の悲劇がある。われわれの悲劇であるばかりでなく、日本人の悲劇でもあるのだ。キースの本のなかにつぎのような記述がある。 -- 日本軍の将校が、例の調子で、入所してきた被抑留者に向かって訓示してからその場をあとにして歩いていくと、自分の背に蔑みの雰囲気を感じる。被抑留者たちは将校が躊躇するのを見る -- 緊迫の瞬間だ。殴打か、他の刑罰か……だが、将校は思いとどまって、歩み去っていく。
キースがここで認めているのは、「日本人は、西洋人が自分たちを滑稽な軍服を着た軽蔑すべき小男だと見ていること、そして、いくらひどく殴打しようが自分たちを軽蔑しなくなるわけではないことを感じとっている」ことである。この悲劇の特殊な局面は、西洋人に有能な民族として見られたいという試みの背後に隠されている事実にある。日本人の、西洋人に尊敬されたいという意識は、彼らが西洋人の目で自分自身を見ているということ、すなわち、日本人は無意識のうちに、日本人を劣等とする西洋人による人種上の優劣観念を認めていることを意味する。つまり、白色人種をいかに辱めようとも、日本人を劣等民族と見る態度は変わらないがために、日本人はますます自尊心を傷つけられるという宿命的な結果をまねくことになる。

 まことに鋭く、美しい記述であって、しかもこれを「悲劇」と表現するところに著者のしっかりした感受性がみてとれる。

1998/10/6

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