孤独の山

ローツェ南壁単独登攀への軌跡

SAM

トモ・チェセン / 山と渓谷社 / 98/10/15

★★★★★

チェセンの手記に、その後起こったスキャンダルの解説を加えた好企画

 『ビヨンド・リスク』でインタビューされている登山家の一人であるトモ・チェセンの手記に、その後のスキャンダルに関する解説を加えた興味深い本。

 手記は、まだスキャンダルが本格化していなかった1991年に出版されたもの。アルプスの3つの山の冬期連続登攀、ジャヌー北壁などを経て、ローツェ南壁にいたる登山の手記である。

 これに、小西政継の解説「ヒマラヤ・クライミングの進展」という文章と、池田常道の補遺「疑惑の系譜」という文章が追加されている。小西政継の文章は、やはりスキャンダルが本格化していない時期に書かれたもので、チェセンが行った単独登山のスタイルに行き着くまでの登山の歴史を概観している。この人は1996年10月にマナスルで消息を絶ったとのこと。池田常道の文章は、チェセンの登頂記録が疑われるようにいたった経緯を、きわめて冷静かつまっとうな記述で紹介している。この、日本人の手で書かれた2つの文章のクオリティが非常に高くて面白い。

 このスキャンダルを簡単に説明すると…。現代の先鋭的な登山は、アルパイン・スタイルからさらに一歩進んで、単独、軽装、無酸素、バリエーションといった要素をすべて満たす登山を指向するようになっている。しかし、この「単独」での登山には、本質的に一つの問題が付随する。その人が本当に山頂まで登ったかどうかを証言する人がいないということである。そこで、その証明には、山頂(およびそこに至るまでの経路)に何らかの物的証拠を置いてくる、山頂にいたるまでの詳しい行動を報告する、山頂で写真を撮る、などの手段が使われるようなのだが、問題のトモ・チェセンは、ローツェ南壁の登攀の際には、これらの条件をあまり満たさなかった。また、その後の報告にも矛盾や不自然な点が見られたので、本当は登っていないんじゃないかという疑念が生じたのである。これが原因で、彼がそれまでに行ったいくつかの単独登山にも疑念が挟まれた。

 この疑念は、彼が行った(と主張している)さまざまな登山が、きわめて超人的だったということにも依っている。特にローツェ南壁は、それまで誰にも登れなかった経路であるのに、それを単独で短時間のあいだに登ってしまったのである。

 まあ私は登山家ではないのでどうでもいいのだが、登山家が登山をするときに、その「証拠」を作らなければならないというのは、どうも本質からずれているような気もしないでもない。しかし現代の登山はビジネスになってしまっているわけで、登山家のコミュニティが何らかの規制を設けなければならないと思うのも仕方がないことなんだろう。ちなみにチェセンはいまでも、自分が主張する登山はすべて実際に行ったと主張しているが、問題のローツェ南壁以降は本格的な高い山の登山は行わず、もっぱらフリー・クライミングをやっているらしい。

1998/10/8

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