戦争と罪責

野田正彰 / 岩波書店 / 98/08/07

このところ読んだ中で最悪の本

 著者の『コンピュータ新人類の研究』を読んで、この人はあまり物を考えたことがないんじゃないかという感想を抱いたのが最後の記憶だったのだが、この本にはさすがに驚いた。主に十五年戦争の時期に中国にいた軍人にインタビューをして、これらの人が自分の罪をどのように理解しているかを記述しようという試み。

 とりあえず最初に言っておきたいのは、この著者は医者としての倫理に欠けているということだ。医者としてではなくジャーナリストとしての仕事だというかもしれないが、この本での姿勢はジャーナリストとはいいがたい。というよりも、この人がジャーナリズムの領分を越えてインタビュー対象の心の中に入り込むその姿勢は医者のものである。もちろん、この人のようなアプローチを「医者のもの」といいたくはないけれども。皮肉なことに、この本の最初の数章は、中国大陸で活動していた軍医を扱っている。私には彼らの戦争中の振る舞いとこの本が同じようなレベルのものに見えた。

 著者が自分の父親に戦争のことを尋ねることができなかったという後悔の念を、血のつながりのないおじいさんたちに八つ当たりのようにぶつけている、という事情が透けて見える。そしてそのときに、わけのわからない「豊かな感情」などの言葉を使うしかないところが悲しい。これは戦後民主主義の確立に失敗したという自分の世代の挫折からでてくる屈折した言葉である。

 PTSDに言及しておきながら、日本の軍人にPTSDの症状があまり見られなかったことを、日本人は精神的に傷つかないのである、みたいな言い方でまとめようとする杜撰さ。PTSDがずっと後になって「発見」されたこととか、もし仮にPTSDの発生率が低かったのであれば、戦場の性質による違いとか、戦後日本がその発生を低めるような、どのような特徴を持っていたのかというような分析に向かわないいい加減さ。それとも何かね、もっとPTSDが大量に発生していた方がよかったとでも? まあ私は実はその方がよかったかもしれないとは思うけれども、医者が言うことじゃないね。

 なによりも困るのは、インタビュー対象の多くが中国に長期拘束されて、いわゆる「洗脳」を受けて帰ってきた人達であることだ。この本では、この「洗脳」を天皇制イデオロギーからの「脱洗脳」と言っている。これには賛成であるというか、このコンテキストで「洗脳」と「脱洗脳」は同義語であるし、「洗脳」されたからといって証言が間違いであるということにはぜんぜんならないことはたしかだ。しかし、この本を読んだ人は次のような印象を持つのではないだろうか? すなわち、中国大陸での十五年戦争で残虐な行為を行った日本人たちは、1) キリスト教信者であるか、2) 中国で「脱洗脳」を受けるかのどちらかでないと、著者のいう本当の反省はできない、と。数えたわけではないが、この本に証言が載っている人のうち、上の1)と2)のどちらにも当てはまらず、なおかつ著者から「ちゃんと反省した。よろしい」という診断をもらった人はごくごくわずかなのだ。

 私はもちろんそんなことを信じていないけれども、この本のロジックを追うかぎり、結論は次のようにならざるをえないと思う。「日本軍人の行った残虐行為は、天皇制イデオロギーの下で行われたものであり、宗教か洗脳という手段をとらないと、それを反省することができない」。そして、このロジックは、多くの責任を天皇制イデオロギーだけに押しつけることに、結果としてなってしまう。このような結論は貧しいと思う。というよりも、戦後民主主義が失敗した(というふうに明らかに著者は思っている)のは、まさにこのようなロジックに頼ったからなのだ。もっと得体の知れないものを相手にしている、ということをいい加減に悟ってもよさそうなものなのに。

 この本は、中国から帰還して「悔い改めた」人々を侮辱した。また、自由主義史観の陣営の人達に、また一つ付け入るすきを与えた。精神医学の誤った使い方をして、公にそれを見せた。などの罪に問われるべきである。

1998/10/13

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