Different Games, Different Rules

Haru Yamada / Oxford University Press / 97/01/01

★★★★

興味深い洞察がいくつか

 著者はロンドン在住の学者。Deborah Tannenの弟子で、彼女の手による序文が付いている。ビジネスの場での国際的コミュニケーションを言語学的立場から分析するという感じの仕事をやっているようだ。たぶん生まれは純粋な日本人だが、日本とアメリカの間を幼児期に転々として、「帰国子女」のかなり極端なケースになったという感じ。

 アメリカと日本の企業内でのコミュニケーションを実際に調査して、コミュニケーションのあり方の違いを分析したその結果をベースに、もっぱらアメリカ人に向けて、この2つの国の国民は違ったルールでプレイしているのだと説く本。こういう本を読む場合、著者がどの程度「日本人」なのかという点はとうぜん問題となるだろう。この点はいまひとつ掴みきれなかった。英語の本を書き、アメリカやイギリスで教職につくぐらいだから、普通の日本人でないことは間違いないし、日本人の行動パターンを説明するときに取り上げる例が、やたら「イギリス/アメリカで見掛けた日本人」であることが気にかかる。もしかしたら、成人してからはほとんど日本で過ごしていないのかもしれない。あと、後に述べるように、日本語とか日本人という問題についてあまり深く考えたことがなさそうだ。

 著者の主張の根本にあるのは、アメリカ人がindependentであるのに対し、日本人は「甘え」をベースにしたinterdependentな関係を作っており、そのことが両者のコミュニケーションのあり方の違いを生み出しているのだ、ということである。なんか真面目に論じる気のなくなる主張なのだが、後の方の、著者が実際に行った研究を紹介している部分を読んでいくと、たしかに何かの違いが両者のコミュニケーションの違いを生み出しているということが納得できる。たぶん私の場合、"independent"と"interdependent"という表現(もちろん「甘え」も)が気になるのだろう。まあこれはとりあえず単なる記号であるとして流しておこう。

 興味深いのは、Deborah Tannenの弟子らしく、日本人のコミュニケーションのあり方がアメリカの女性のコミュニケーションのあり方と似ていると指摘する点である。しかし、そこから日本人のコミュニケーションのあり方が「女性的」であるという方向に話を持っていくのは問題があるんじゃないか? アメリカの女性のコミュニケーションのあり方が「日本的」であると言ってもいいわけだ。現代アメリカの研究を通して作られた「男性/女性」という軸を中心に、それを日本に適用するという、よく見られる文化ショーヴィニズムに、著者自らが足を取られているように思う(その前段階の議論で、著者自ら文化ショーヴィニズムを批判しているだけに、余計に変な感じがする)。

 さて、この本の、本人が行った研究以外の部分で言及されているさまざまな論点は問題含みである。たとえば「阿吽の呼吸」という言葉について奇怪な説明をしていたり(17ページ)、『七人の侍』と『荒野の七人』の登場人物たちの違いをベースに日米の国民性の違いを論じてみたり(アメリカ人は自分たちの行動パターンが『荒野の七人』に代表されると言われて納得するのだろうか?)、『お葬式』の監督を小津だと言ってみたり(61ページ。しかも"Sooshiki"と表記している)、漢字の成り立ちについて通俗的な説明をしたり、主語がない、語順が自由であるというような日本語の特性をもとに通俗的な議論を行ったり、いろんな場所で取り上げる事例がどう考えても一般的でなかったり。

 しかし、著者がビジネスの場にテープ・レコーダーを持ち込んで記録した研究成果を披露する部分はきわめて興味深い。これらの成果は、実際に日米ビジネスの場にいる人々にとっては、日々感じている当たり前のことなんだろうと思うが、とりわけアメリカ人をターゲットとしてこれらの事柄が書かれたということは重要だと思う。teasing(からかい)の使われ方の違い、沈黙の意味の違いなどなど。特に日本人の「からかい」が(アメリカの白人よりは)アフリカ系アメリカ人のそれに似ているという指摘は興味深かった。これはたぶんアメリカ(の白人)に通じやすいアナロジーだと思う。

 いくつか感じた事柄。

 ここで取り上げられている「日本人」は、あくまでも、企業の尖兵としてアメリカに住んで、日々アメリカ人と接している日本人であるわけなので、普通の日本人ではない(ただしこの本で取り上げられている事例は平均的な例からそれほどは逸脱していないように思った)。しかしたぶんむしろ問題なのは、この本の「アメリカ人」の像だろうと思う。independentで、かなりaggressiveに自分を主張するビジネスマンは、著者が研究対象とした(そしておそらくは日々接していた)アメリカ人のサンプルの性質のせいで、きわめて特殊な像になっている。もちろんこの本(と著者)は、日米のビジネスの場でのコミュニケーションという問題を扱っているのだから、サンプルが偏っていることは別に問題にならないのだが、一般論に敷衍するときには慎重になる必要があるだろう。

 著者はこの本で何度かセルフ・ヘルプ本にどのようなことが書かれているか、ということに言及している。アメリカで、「independentになろう!」というセルフ・ヘルプ本がよく売れているということは、そのようなindependenceが1つの理想型として捉えられているということだけでなく、そのような理想を実現している(と主観的に感じている)人が少ない、ということも意味している。日米のセルフ・ヘルプ本の比較、というのは興味深い題材になるだろう。

 この本ではverbal communicationに重点が置かれている。しかし、特に「沈黙の意味」などの問題を扱うときにはnon-verbal communicationもきわめて重要である。たとえば著者は日本人同士の会議では非常に長い沈黙が発生すると指摘し、その沈黙はアメリカ人が考えるような単なるコミュニケーションの欠如ではないのだと述べる(これはもちろん正しい)。しかし、その間にnon-verbal communicationが行われているという当り前の指摘はしない(まあ研究対象でないのだから仕方ないが)。アメリカ人に対して日本人のコミュニケーションを説明するときには、このnon-verbal communicationは重要だと思う。というのも、著者が再度強調するように、アメリカ人はSpeaker Talkを行うのに対し、日本人はListner Talkを行う。このListner Talkでは必然的にnon-verbal communicationが大きな役割を果たすということを言っておかないと、アメリカ人はListner Talkが具体的にどのように行われるのか想像できないんじゃないかと思う。

 いずれにせよ、この本は、特に一般教養の面でいろいろと問題はあるとはいえ、日本人のコミュニケーションのあり方をアメリカ人向けに説明した本としては質が高いと思う。

1998/11/27

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