学校崩壊

河上亮一 / 草思社 / 99/02/23

★★★★★

ついに追い風か?

 「プロ教師の会」のメンバーの主張には長らく関心を持ってきたのだが、この本にはいままでにない特徴がある。著者が、時代の風が自分にいくぶん有利な向きに吹いていると感じているらしいことである。このグループは、戦後教育にいわゆる戦後民主主義と呼ばれる思想が入ったために、学校の権威が失われ、それがさまざまな問題を引き起こしていると主張してきた。この主張はあまり広く支持されることがなかった(というのが彼らの発言のスタンスであった)が、ここ数年たてつづけに起こった事件、たとえば中学生による首切り陳列事件、生徒が教室の前で教師を刺殺した事件、いじめられた生徒が自殺する事件、などが引き金となって、学校と子供に何か問題があるという認識が広まり、いわゆる「学級崩壊」と呼ばれる現象も注目されるようになって、「プロ教師の会」の主張にある程度の共感が寄せられるようになった、というのである。

 私は、「プロ教師の会」の本質は教師に対する精神的サポートの提供というところにあると思う。学校教師は世間からの圧力と実際の現場でのニーズの間の矛盾にとらわれて精神的に苦しい立場に追い詰められているので、それを救えるような論理と思想を提供しようという活動なのだ。教師向けのセルフ・ヘルプ本といっても差し支えない。

 問題の微妙な点は、教師が苦しいから教師が楽になるように制度を変更しようというのは本末転倒だというところにある。死刑囚監房の看守が、死刑囚が死んでいくのを見ているのがつらいからといって、じゃあ死刑執行をやめましょう、という話にはならないのと同じことだ。もちろん苦しがっている教師は子供にいい影響を与えないというファクターはあるにしても。

 そしてたぶんこのことが、「プロ教師の会」の、教育に関する提言の部分の信頼性を揺らがしていると思う。私としては賛同する部分は多いのだけれども。

 『なぜ日本は没落するか』でも、今後数十年にわたる教育のあり方に関する予想と苦言があったが、森嶋と河上が心配しているこの流れは、何かカタストロフィックな事件でもない限り、ここ数十年は変わらないだろうと思う。仮に何か有効な解決手段が見つかったとしても、教育というものには巨大な慣性があるから、もっと長いスパンでゆるやかに変動していくものなのではないだろうか。そういう周期が有効に働く前にカタストロフィックな事件が起こる可能性の方が高いと思うけど。

 最後にいくつか個人的なメモ

 いわゆる「平等な公教育」は、いまの社会の趨勢を考えると、個人間の能力の差、ひいては所得格差を広げる方向に働くだろう。森嶋も河上も指摘するように、いまの公教育のあり方は生徒の平均的学力を下げる方向に働いている。そこから普通は「国力の低下」みたいな話にいくわけだが、まあある程度そういう傾向が生じるのは仕方がないとしても、ミクロに見れば、これは学力、能力、所得の格差が広がっていくということに他ならない。つまりいまのアメリカ型である。平等教育に関する世間の議論は、賛成派と反対派のどちらにも、ここの因果関係を認識しそこなっているものが多いように思う。そして、これは歴史による審判を待たなければならないのだが、先進国においては貧富の差が激しい方が「国力」は高くなるのかもしれないのだ。

 たとえば「大学生の学力の低下」が嘆かれるときに、平均寿命の上昇というファクターが無視されることが多い。今後訪れる少子化の時代のことも念頭に置くと、今後、労働から引退する年齢は上昇するわけなので、教育が完了する時期が上昇しても差し支えない。「10代後半(あるいは20代前半でも後半でもなんでもよいが)の頭の柔軟な頃でないとうまく学習できない」というような分野がある、という主張もあるわけだが、ほんとうにそうなのか疑問に思っている。

1999/3/12

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