司法戦争

中嶋博行 / 講談社 / 98/07/15

★★★

スケールが大きい、と思ったら……

 『違法弁護』の次の3作目である。1作目の『検察捜査』が検察官、2作目の『違法弁護』が弁護士、3作目の『司法戦争』が裁判官を主人公に据えており、3部作のようだ。

 『違法弁護』のときにも感じたことだが、人物造型の点で、きわめて基本的なところに問題があるように思う。特に主人公の描写が致命的なのだが、若手女性裁判官というキャッチーな設定であるのにもかかわらず、魅力が感じられないのだ。人物の魅力だけを追求する小説は辟易とさせられることが多いけれども、さすがにこの『司法戦争』みたいになっていると、少しは読者サービスをしてもいいのではないかと思った。

 『違法弁護』にもそういう要素があったが、この『司法戦争』でも、主人公はいくぶん倫理的問題のありそうな行動に出る。そのような行動を選ぶことの逡巡は描かれるのだが、結局は、大局的なインプリケーションや予想しうる結末などについて深く考えないまま、行動を起こす。ところでこの著者は、主人公が大きな流れに押し流される、というタイプの小説を意識的に書こうとしているようなのだが、主人公の人物造型の不手際のせいで、これだけバカな人だったらたしかに押し流されるだろうな、と思わせてしまうような人間になっているし、あともう一つ、そのタイプの小説に欠かせない後始末が不十分だ。その後始末には、(1) 主人公は大変な目にあい、危機を脱し、成長する、(2) 主人公は大変な目にあい、危機を脱することができず、人生は哀しいという読後感がある、の2つのパターンが考えられる。そのどちらもない。

 『違法弁護』では主人公の弁護士が「イソ弁」という言葉を知らないという設定にぶっとんだが、この『司法戦争』では、最高裁判所の調査官たちが、アメリカのマクドナルドに対する「熱いコーヒー」の損害賠償裁判で巨額の懲罰的賠償金を払うべしという判決が出た、という話を知っていることをたがいに自慢しあうという驚くべきシーンがある。あと、沖縄が長い間アメリカに占領されていたということを忘れてるとか、日本で昔、陪審制がとられていた時期があったことを知らない、とか。本当に日本の法律関係者はそういう程度の人々なのだろうか? そうだとしたら、法律関係者を主人公にした小説を書くのはやめた方がいいのではないか?

 ストーリーそのものは、アメリカの弁護士の日本への進出とそこで起こる軋轢、というスケールの大きい話になるのかとおもったら、それはレッド・ヘリングで、実際にはみみっちい話だった。いろんなグループがいろんな思惑で動き、その中で主人公が翻弄されるわけなのだけれども、個々のグループの思惑がどうにも説明不足で、主人公が翻弄されるような仕組みを先に作ったということがみえみえ。

1999/3/16

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