四人はなぜ死んだのか

インターネットで追跡する「毒入りカレー事件」

三好万季 / 文藝春秋 / 99/07/20

★★★

甘酸っぱい思いが広がる?

 和歌山県の毒入りカレー事件の際に、医療機関やメディアが被害者の症状が砒素中毒であるということを見抜けなかったことが被害の程度を増大させたと論じる中学生の夏休みレポートをもとに書かれ、『文藝春秋』に掲載された文章を収録した本。著者は当時中学三年生。

 「文藝春秋読者賞」を受賞した文章、現地での取材を反映させたPart II、これらの文章を書くに至った背景事情を論じる第3章、そして中学二年生のときの夏休みレポートを収録した付録から構成されている。一読してこれがチャイルド・ポルノグラフィーっぽいと感じる人は少なくないと思う。

 著者の家では、日本経済新聞を購読していて、父か兄が「文藝春秋」、「現代」、「諸君!」、「正論」などの月刊雑誌や、「SAPIO」、「週刊文春」、「週刊新潮」などの隔週誌・週刊誌をよく買ってきて、本人は木村太郎と安藤優子のファンなのだ(第3章より)。こういうことを書いてしまう無防備さは、本人がそのような写真をとられていることの意味をよくわかっていない、ということが発情のトリガの1つとなっているチャイルド・ポルノグラフィーによく似ている。

 「素直」、これがキーワードである。自分にもこういう時期はたしかにあったはずだ。それがいつの間にか失われてしまったことに関する感傷。しかし、それと同時に一抹の不安もよぎる。この著者はもしかしたらずっとこういう素直さを保ち続けるのかもしれない。小林よしのりなどの若者向け自由主義史観にはまっているのは、こういうタイプの人たちなんだろうと思う。日ごろはそういう人たちのナイーブさを笑っている自分ではあるけれども、もしかしたら日本の将来にとっては、こういう人たちがうまく素直さを保って世間に出ていってくれた方が望ましいのではないかとも思う。複雑な気持ちだ。

 つまり、たとえば、この本では直接に医療に携わった人たちが、なぜそれが毒物中毒である(食中毒であるとされていた時期)、さらには砒素中毒である(青酸中毒であるとされていた時期)と言えなかったのか、ということに関する考察がない。マニュアルや検索システムでわかるはずだ、というきわめて生産的な指摘一点ばりだ。これは非常に好ましい態度であり、今後、著者が世間に出てこういう態度を貫くのであれば、またそういう人が増えてくれば、世の中はずっといい方向に向かうだろう。おお、私はすでに「後世の人に希望を託す」というポジションに入っているようだ。あまり期待はしていないが。

 同じようなことが、付録の「始めまして」と「初めまして」の使用頻度に関する調査研究にも言える。著者は、この2つの用例が混在していることに気づいたとき、語源を調べるとか、歴史的な用例に当たるなどのことせず、現在の使用例の調査に着手するのだ。

 ちなみに私は「はじめまして」と書くようにしているが、「始めまして」と「初めまして」のどちらが正しいかという問題については前者が正しいと思っていた。これは何かが「始まって」いるのである。なぜそう思っていたのかと思い返してみると、この問題について論じている文章をどこかで読んだような気がする、というていどの根拠しかない(つまり、「はじめまして」の「はじめ」はふつう「初めて」という意味を持つと思われているが、これは実は、初対面の人たちが会ったときから何かが「始まる」ということを言っているのである、というような感じの話)。しかし、ほんとはどっちなのかということを調べる根気はない。

 あとまあ、これは直観的にわかったけど帰国子女ですね。期間はとても短いみたいだけど、「帰国子女はすぐわかる」説を唱える友人が喜ぶようなサンプルだ。

 素直に生きていってほしいと思うが、はやいうちに家を出た方がいい、というのが私のできるせいぜいの助言か。

 著者のwebサイト

 「書庫」のページが可愛いけど、思ったほど早熟タイプではなかった。

1999/9/6

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