ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ

灘本昌久 / 径書房 / 99/05/20

★★★★★

力のこもった作品

 著者は、同じ出版社(径書房)からかなり昔に出ていた「『ちびくろサンボ』絶版を考える」にも書いていた人。部落差別を中心に、差別問題を専門としている人のようだ。

 本書の多くの部分が、「ちびくろサンボ」をめぐる批判・反批判の歴史の総まとめであり、非常に興味深い。特に、サンボ、ジャンボ、マンボという登場人物たちの名前が、シェルパ語圏にふつうに見られる名前であるという話は初耳だった(ちなみに、この場合のサンボは「サンポ」と表記されることもある)。これは1990年代に入って、国連関係機関でアジア方面の仕事を多くしている今井爾郎という人が述べた説らしい(104ページ)。これに関連して、昔から思っていたことを書いておく。サンボ論争では西洋の論客たちの意見はよく目にするが、肝心のインド人たちが「ちびくろサンボ」についてどう思っているのかということがほとんど紹介されないということだ。実際、西洋の白人と黒人が(また日本人も)、インド人不在のまま議論をくりひろげるそのことが、何か歪んだ事情を表しているという感じが拭えないのである。ちなみに、チベット文化研究所(『「国」を捨てられない日本人の悲劇』のペマ・ギャルポが所長をやっているところ)の人々によると、「サンボ」は「一郎」みたいにありふれた名前で、「マンボ」は言葉の意味としては「たくさん」、「ジャンボ」は「柔かい、優しい」という意味らしい。

 これ以外にも、著者は、日本において「ちびくろサンボ」を絶版にするべきでない理由をいくつも挙げる。

 最後の方には、著者の本来のフィールドであると思われる部落差別問題に触れ、「竹田青嗣のわかりやすいバージョン」みたいな形の差別論を展開する。ここの部分の大筋はまったく正しいと思う。

 しかし私は、「ちびくろサンボ」問題と部落/在日韓国人差別をこのように並べてはいけないと思う。われわれ日本人にとっての「ちびくろサンボ」問題は、部落/在日韓国人差別のような「差別問題」であるというよりも、国際化が進みつつある日本社会がグローバル・スタンダードにどのように対応するか、という問題なのだ。その意味で、近年の経済問題にむしろ似ていると言えるかもしれない。たしかに、「ちびくろサンボ」に対する「反差別派」の行動の問題は、部落/在日韓国人差別に対するそれと共通しており、おそらく後者の差別問題の方が切実である著者にとっては、この共通点の方に目が行きがちなのだろう。だがこれにばかり目を向けていると、本来の「ちびくろサンボ」問題の重要性を見落としかねない。私から見ると、たしかに著者はこの重要性を見落としていると思う。いくら、「ちびくろサンボ」を差別と感じる黒人は、その差別意識を内面化しているのであると言ったって、日本にやってくる黒人を含む諸外国人があちこちで黒人のステレオタイプの絵を目にしてしまうという事実が変わるわけではないのだ。

 また、黄色人種であるわれわれが、黒人とどのように連帯しうるかという問題からも目をそむけてしまうことになる(ただし著者は連帯は嫌いかもしれないが)。被差別者の側での差別の内面化などという生っちょろいことを言ってはいられない状況というのもあるのだ。その意味でいまの部落/在日韓国人差別はきわめてソフトなのであり、著者の差別論はそういうソフトな差別にしか効果を持たない。それはたとえば、アメリカにおいて、日本人のステレオタイプが描かれたときに、それにどう対応していくべきかというような問題に絡んでくる。言論をめぐるパワー・ポリティクスに積極的に参加することがぜひとも必要な状況になったとき、おそらくわれわれは内面化などと言ってはいられないはずである。

 著者のwebサイト。ただし内容はあまりない。

1999/10/6

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