私はいかにして〈日本信徒〉となったか

呉善花 / PHP研究所 / 99/07/01

★★★★

面白い

 呉善花(お・そんふぁ)が1999年に出した本。『スカートの風』を出してからの経緯も含めて、著者のこれまでの人生を振り返って語った本。

 まことに迂闊ながら、いままでこの著者の本を読んだことがなかった。しかし、『ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ』に挟まれていた小冊子(径通信51号、1998年7月)に載っていた呉善花のインタビューが非常に面白かったので、今回、『スカートの風』、『恋のすれちがい』『続・スカートの風』、そして本書とまとめ読みをした。これらを読み終えて、情報としては最初の小冊子を読むだけで十分だったかもしれないという感想を抱いたが、この人の文体はどこかしら気持ちよくて、楽しい読書をすることができた。

 1956年に韓国の済州島で生まれた著者は、1983年に渡日し、7年目にデビュー作の『スカートの風』を書いた。日本に来てから、韓国で受けてきた反日教育に対する疑念が生じ、一転して親日的な立場に立つようになった。このために韓国人からのバッシングがすごいらしい。

 日本人と韓国人の特徴を対照することによって、韓国に対して批判的な韓国・日本の文化論を展開するというテーマは、いままでに読んだ4冊に共通している。その着眼点は非常に興味深く、面白く読むことができるのだが、著者の論をどこまで信じていいのかはいまだ不明である。アメリカで本を出した宮本政於(『官僚の官僚による官僚のための日本!?』)とか、日本で本を出しているビル・トッテンのような存在なのか。それともずっとましなのか。知性と言語能力という点では、この2人よりはずっと優れているように見えるけれども、自国よりも外国で成功したという共通点がある。

 著者の本を読んでいて思うのは、この視点は彼女が翻訳者、通訳者、語学教師などの仕事をしていたことによって獲得されたという面が多分にあるのではないかということだ。たとえば、韓国語には文語的な表現を除くと受け身表現がないので、自分を受け身とする表現から生じる反省的な姿勢(「隣の家から部屋の中を見られる」みたいな)が韓国では発達していない、というような考察は、言葉に対する感受性の強さを表しているように思う(まあ、そんなに大げさに言うことでもないけど)。なお、前にも書いたが、著者の日本語は上手なだけでなく、独自の力強い文体を持っている。

 これだけ頭の良い人が、日本に来るまでは(また来てからもしばらくの間は)韓国流の反日教育を完全に受け入れていたということはなかなか信じられないことである。著者の親日的姿勢への転向は、日本における対人的な摩擦を通して身体的なレベルで行われたという風に描かれるが、この「身体的なレベル」という点を強調するためのレトリックなんではないかという疑いが読書中ずっとつきまとっていた。いずれにせよ、著者のこのような態度は、数少なくない日本人に大歓迎されているのだろう(よく事情を知らないのだが、ある種の人々のペットになりそうな感じ)。

 著者が日本人を非常によく理解しているということは間違いないと思う。ツボの押さえ方を心得ているとでもいうべきか。しかし、その見事さに感嘆すればするほど、このレベルまでの理解と身体化を外国人一般に要求するのは無理だという思いを抱かざるをえない。(本書で描かれているような典型的な)韓国人に限らず、多くの在日外国人はこれよりも数段低いレベルでの理解しかしていないし、何よりも理解を深めようという姿勢を持っていないと思われる。そのレベルでどうやってコミュニケートしていくかが異文化間コミュニケーションの問題なのであり、実のところ、「相互理解を深めていく」という答えは最初から禁じなくてはならないんじゃないかと思うのだ。

1999/10/6

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