卑弥呼の正体

ついにそれが明かされた!

遠山美都男 / 洋泉社 / 1999/09/08

★★★★

いろんな点で固定観念を打ち破る興味深い本なんだが、どこまで信じていいのかわからない

 これまで主に7、8世紀の古代史をフィールドにしてきた著者が、3世紀の卑弥呼の時代に焦点を当てて書いた本。『古墳とヤマト政権』に書かれていたような考古学の成果と文献資料を活用して、いろんな面でこれまでの固定観念を打ち破るような説を展開している。しかし、これは私にこのフィールドに関する知識がないからなのかもしれないが、証拠の選択がかなりアドホックなように思える箇所もなくはなかった。

 第I章の「『魏志』倭人伝研究への疑問」は、これまで『魏志』倭人伝が同時代史料として無批判に利用されてきたことを批判し、その著者であった陳寿の置かれていた状況なども考慮に入れた史料批判を行わなければならないと指摘する。そのなかで、この史料をもとにした邪馬台国の場所探しは不毛であると切って捨てる。

 第II章の「卑弥呼は邪馬台国の女王?」では、『魏志』倭人伝の記述をちゃんと読むと、卑弥呼が邪馬台国の女王ではなく、倭国の女王であることがわかると指摘する。この場合、倭国とは「中国王朝に対して従属・朝貢するという限りにおいて中国が日本列島内において独立を認定した政治的単位の呼び名であり、その領域を支配する政権の名前だった。それは邪馬台国をはじめとして……諸国の集合体だったのである。邪馬台国とは、他の諸国と同様、倭国を構成する一国にすぎなかった」。

 第III章の「卑弥呼は女王の名前?」では、卑弥呼という名称が人物の名前ではなく職の名前だったとする。一方、『魏志』倭人伝に出てくる二代目の名前、台与(トヨ)は人物の名前である。

 第IV章の「卑弥呼は女王だったのか?」は、これまで一般的に信じられてきた(と思われる)シャーマン的な女王としての卑弥呼像を否定し、男の王を補佐する卑弥呼というシャーマン的な職が、第一次倭国大乱のあとに作られたのだと述べる。

 第V章の「第一次倭国大乱と卑弥呼」は、この卑弥呼職がどのような経緯で作られたのかを説明する。これは『古墳とヤマト政権』に描かれていた前方後円墳の出現期にいたる前の時期の話で、実際、広域的な初期ヤマト政権の確立の契機となった闘争こそが、『魏志』倭人伝に描かれている第一次倭国大乱なのだと述べる。このときの戦いの覇者は、魏王朝から倭国王として認定されるが、中国大陸での戦乱の影響もあって、日本列島内で王としての地位を確立しなければならなくなった(つまり中国大陸からの認定だけでは不十分だった)。そのためのツールとして作られたのが卑弥呼職だ、というのである。

 第VI章の「第二次倭国大乱と前方後円墳」では、『魏志』倭人伝に描かれている二回目の倭国大乱が一回目とは異なり内乱であったこと、この内乱を鎮火するために台与が二代目の卑弥呼として選ばれたことを指摘する。卑弥呼という存在はこの2人で終わり、そのあとは前方後円墳が似たような機能を果たすようになった。おそらく王を補佐する形での卑弥呼職だけでは、前方後円墳の出現期が示唆する、多数の首長の連合体制を支えることはできなかったのだろう。それよりももっと階層的な、あるいは分散的な道具が必要だった、というわけである。

 私はいまだに遠山美都男という人の書いていることをどれほど信用していいものなのか、判断ができないでいる。『日本誕生の謎を解く本』の項でも、日本古代史研究というフィールドの胡散臭さに触れたが、こういう状況を「ロマンあふれる古代史」というふうに表現することはどうしてもできない。

1999/10/6

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