ごみ行政はどこが間違っているのか?

リサイクル社会を問い直す

熊本一規 / 合同出版 / 99/07/01

★★★★

整理されていないけど、言ってることはまっとう

 「ごみ問題」をベースに環境行政について論じている本。著者は明治学院大学教授。著者へのインタビュー形式である。

 インタビュー形式であるための限界か、問題点がきれいに整理されていないという欠点があるけれども、言っていることは大筋ではまっとうである。まっとうであるだけに、不可避的な結論、すなわち「日本社会は生産と消費を減らすべきである」という主張に行きつく。このような主張が日本社会に受け入れられることはとうぶんなさそうなので、非現実的であると言えなくもない。具体的な話については、ドイツのごみ行政の例が多く取り上げられていて参考になった。

 129ページあたりから、槌田敦が『環境保護運動はどこが間違っているのか?』で展開しているリサイクル批判に対する反論がある。この反論は歯切れが悪い。槌田は、故紙が供給過剰になったためにリサイクルのシステムが潰れたというような例を持ち出してリサイクル批判を行うのだが(そしてこれは『環境保護運動はどこが間違っているのか?』の項で指摘したように、リサイクルの問題というよりもボランティア運動の問題なのだが)、これに対して本書の著者は、増えた供給に応じて需要を増やす経済政策をとればよい、と述べる。しかしこれは著者の全体的な主張、すなわち「究極的には」生産と消費を減らすべきであるという主張に真っ向から反するし、やはり槌田が指摘している問題、すなわちリサイクルにおける資源の回収率は100%にはならないし、投入されるエネルギーの無駄づかいになるという問題に応えていない。そもそも、このような経済政策は、ほぼつねにマーケットの歪みという悪影響をもたらす。だから著者が槌田の主張に反論するとしたら、リサイクルのコストをすべて生産者に持たせ(したがって最終的には消費者に転嫁し)、これを通じて消費量と生産量を減らしていくのが最善である、と答えるしかないと思う。リサイクルを行うことで資源やエネルギーの収支としてプラスになるから良いのではなく(実際、ならないことも多いだろう)、それを通じて生産と消費が減るから良いのである。

 考えれば考えるほど、リサイクルという問題は、ボランティア活動というファクター抜きで取り組むべきだという気がしてくる。その点で、やはり槌田敦の着眼点は正しい(結論が正しいかどうかはともかく)。

 あとがき(p.177)より引用。

前著で予想していたように、九五年以降の動きの主な焦点は、家庭系一般廃棄物の処理・リサイクルの費用をだれが負担するか、という点である。前著では、自治体による適正処理困難物指定の動きをひろめ、事業者負担を追求すべきであることを主張したのであるが、現実には、国により、「容器包装リサイクル法」、「家電リサイクル法」、と、事業者が引き取ってリサイクルする法律があいついで制定された。だが、その中身は、事業者責任が骨抜きにされるばかりか、税金負担あるいは消費者の直接負担でリサイクル産業を興すようなものでしかない。国主導の立法により、自治体主導の事業者責任追求の動きが封じ込められたともいえる。
本書を通じて、現在の国主導の資源循環型社会づくりが、生産の変革につながるものではなく、リサイクルに名を借りた産業興しであることを、また、日本が、海外の動きをいかに換骨奪胎して導入することによって事業者責任を骨抜きにしているかを、市民・自治体の方々に理解していただければ、と思う。いまや資源循環型社会づくりの中身そのものを批判していかなければならない時代になったのである。

1999/10/6

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