コリアン世界の旅

野村進 / 講談社 / 99/01/20

★★★★

力作ではあるが

 『アジア 新しい物語』の野村進の受賞作。在日コリアンの問題から出発し、在米コリアンやベトナム戦争の問題などにも触れ、そこから在日コリアンに戻ってくることで、この問題を見る別の視点を獲得することができる、というのが売りになっているようなんだが、『アジア 新しい物語』で感じたのと同じような物足りなさを感じる。取り上げられている個々の事象を、より広い文脈の中に置いて理解するということを怠っているような気がするのだ。もちろん、「より広い文脈の中に置いて理解する」という作業には政治的・思想的な偏りが入り込みがちだし、このようにデリケートな問題でこちらの方に力点を置くと読むのがしんどい本になってしまうというのもわかるのだが。

 この点に関連して、梁石日(ヤン・ソギル)は文庫版の解説に次のように書いている(481ページ)。

『コリアン世界の旅』は、こうした複雑多岐にわたる問題意識について、日本人によって書かれたものである。一般的に日本人の書く在日朝鮮・韓国人問題は、どちらかというと社会的要素が強く、在日朝鮮・韓国人の内面に踏み込んでくるようなことはなかった。また、在日朝鮮・韓国人によって書かれたものも、多くの場合、自己の体験や家族との絆、民族的アイデンティティについての思いが多かった。

 ここでいう「社会的要素」は、日本人の側のpolitical correctnessという文脈で理解した方がいいと私は思っている。そしてたしかに本書は、コリアン・アメリカンなどの記述を担保として、このPCの壁を打ち破るという試みをしている。しかしいったんこのPCの壁が打ち破られたとき、われわれは在日コリアンをどのような枠組みで理解したらいいだろうか。たとえば、「在日コリアンの問題は、移民問題である。世界のいろんな国における移民の状況を見ると、在日コリアンはましな方である。これは朝鮮半島の住人と日本列島の住人が、昔から、かなり自由に交流していたことともたぶん関係があるに違いない」というようなまとめ方を、日本人と在日コリアンとコリアンはどう受け止めるだろうか。

 私は、上記のカギ括弧内のまとめ方は、「より広い文脈」を追い求めたときにかなり妥当なまとめ方だと思っている。もちろんこのまとめ方の下では、日本人と在日コリアンとコリアンの個々人が持っているであろう微妙な感情や意見が抑圧されるのだが、みんなそろってこのような「広い文脈」に移行することは可能だろうか? 可能だとして、どのようにしてそれが実現するだろうかといろいろと考えると、結局、これは状況の問題だというところにたどりつく。結局、長期的に見た場合、極東の政治・経済情勢が個人の持つ感情や意見を決定するのである。

1999/10/11

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