魂まで奪われた少女たち

女子体操とフィギュアスケートの真実

Little Girls in Pretty Boxes: The Making and Breaking of Elite Gymnasts and Figure Skaters

ジョーン・ライアン / 時事通信社 / 97/12/20

★★★★

おそらくこれを書いたこと自体が勇気あることなのだろうが

 女子体操とフィギュア・スケートの世界で行われている児童虐待を扱ったノンフィクション。著者はスポーツ・コラムニスト。虐待の対象となっている少女たちへの感情移入が激しすぎるようにも思えるけれども、そうせざるをえないほど憤っていることは理解できるし共感できる。

 しかしこんなことは当然のことだろう。フィギュア・スケートはそれほどでもないけれども、体操をやっている女子体操選手たちを見ていれば、彼女たちが恐ろしいほどのプレッシャーにさらされているのは一目瞭然だ。ある意味で、彼女らをオリンピックや世界大会に出場させるということがすでに児童虐待である。もちろん、この本は、その背後で本物の虐待が行われていると告発しているわけだが。

 しかし、その虐待でさえ、日本では「選手を思うあまり厳しくなっているコーチと、根性のあるスポーツ選手」という文脈で受容されてしまうかもしれない(もちろんその範疇にもさすがに収まらない事例はあるけれども)。高校生は児童とはいえないけど、春と夏に高校野球に熱狂する国民である。学校の部活動で熱射病の死者を出すお国柄である。

 もちろんこの本の対象であるアメリカの体操/フィギュア・スケート界に固有の問題もある。オリンピックや国際大会での勝利に大きな価値が見いだされるようになってきたこと。そのために、少し前までは東欧やソ連の選手たちの特徴だった幼児体形が追求されるようになったこと。それの帰結として、本当に勝てるようになってきたこと。それに伴ってマーケットとしての規模が大きくなったこと。それでますますアメリカ国民がこの2つのスポーツに注目するようになったこと。そして、(それがなんであれ)American valueの体現者としての役割が選手たちに割り当てられてしまっていること。このような要因が互いにポジティブ・フィードバックを与えあって、現状に到ったのである。

 この2つの競技は、ドミニク・モセアヌとタラ・リピンスキーに代表される「少女」が活躍する場となってしまった。アメリカ選手団だけを取ると、このような低年齢層の選手がいるために、17歳とか18歳になるとすでにコンペティションに勝てなくなってしまう。これは競技の技術だけでなく、選手の人気という点でもそうである。皮肉なことに、東欧やロシアの選手たちの方が成熟した女性に近い体形になっているし、モセアヌやリピンスキーのように「かわいい」と評価されるような選手はほとんど見られない(若くてもかわいくない。これはおそらく東欧やロシアの選手たちに、そのように振る舞うべしというプレッシャーがかかっていないことを意味している)。

 この問題の結論ははっきりしている。旧共産圏の国策としての体操選手育成にはそれなりの(というかかなりの)問題があった。しかし、女子体操と女子フィギュア・スケートが、いったん資本主義社会で大きなビジネスとなってしまうと、そこでは自由競争が行われるだけ、少女たちに加えられる虐待の度合いも、またその範囲も甚だしくなる。上で述べたように、(1) 現在のルールで勝つためには幼児体形の方が有利、(2) 幼児体形で可愛い方が人気が高い、という2つの要因はポジティブ・フィードバックの関係にある。この状況下で、仮に肉付きはよいけれども優雅な体操をするという選手が出てきても、その人は競技で勝てない以上、圧倒的な人気を得ることはできない。

 この輪をどこかで断ち切らないと、この問題は解決しないだろう。ルールを変える、年齢制限をする、容姿を基準に採点しない(この本では、最初の選手が演技を始める前から、アメリカ的にかわいい選手が勝つことが決まっている(場合がある)という事情が描かれている)、観客のロリコン体質を変える、などのどの方法でも、とりあえず改善には向かうはずである。

 個人的な感想は、やっぱり、こんなことわかりきっているじゃないかというものである。特に最初の方で述べたように、未成年を不特定多数の目にさらすことがすでに虐待であるということは重要で、それを承知でみんな子役が出てくる映画を見たり、少年スポーツをやらせたり、音楽コンクールを聞いたり、美少女コンテストを開催したりしているのだ。そうじゃなかったの?

1998/4/16

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