南京の真実

The Diary of John Rabe

ジョン・ラーベ / 講談社 / 97/10/09

★★★★

強烈な日記

 このジョン・ラーベという人は、南京大虐殺の論争でときどき名前が出てくる人で、日本軍が侵入した後も南京にとどまり、「南京安全区国際委員会」の代表として大いに中国人の命を救うことに貢献したことで有名である。この人が残した公式の文書で、南京侵攻による犠牲者の数が、いわゆる「大虐殺派」が唱える数よりも少ない数に見積もられていることから、「大虐殺否定派」の論述によく引き合いに出される。で、この人が当時つけていた日記が1995年に発見され、エルヴィン・ヴィッケルトの手によって編集されて発行されたのを翻訳したのが、この本である。

 いわゆる「南京大虐殺論争」が、いまどのようなところに落ち着いているのかはよく知らないけど、この本が第一級の資料であり、すべての議論は少なくともこの資料を繰り込んで行わなければならないのはたしかだと思う。でもまあ、南京大虐殺論争ってのは別に面白い論争でもなさそうだし、この本は戦場にいた民間人の日記として素直に読むのが一番いいのだろう。

 そういう点では、この本は非常によく書かれている。日記に対して、よく書かれているというのは適切でない言い方かもしれないが、後の公開を強く意識して書かれた日記によく見られるような変な自意識がまったくなく、事態の推移とそれへの対応がきわめて感情移入しやすい形で書かれている。南京大虐殺にとりたてて興味のない人にも強くお勧めできる本である。

 ジョン・ラーベは「南京のシンドラー」と呼ばれるような人だが、現実世界での位置付けはシンドラーよりも微妙で、ナチ党員だったのだが、南京にずっといたせいで、ナチスが本国で何をやっていたのかよく知らなかった。南京では、日本との友好関係が強かったナチ党員なもので、無法者の群れと化している日本人をコントロールするのに(他の国の人と比べると)都合がよかった。1938年に帰国すると、中国での状況を国民に知らせるために講演したりするけど、それが原因でゲシュタポに捕まってしまう。なんとか釈放されたが、それ以降、講演も出版もフィルムの上映会も禁じられる。戦後はなかなか非ナチ化を許してもらえず、勤めていたジーメンスでも左遷されたりして、1950年にさびしく死を迎える。

 ちなみに、ラーベは帰国してからの講演で、(当時南京にいた外国人は)死者の数を5〜6万人と見積もっている、と述べているのだが、これはおそらく南京の都市の中だけの死者のことでしょう。

 読み終えての個人的な感想。よくもまあこんな状態で南京にとどまったなあと思う。西洋人は比較的安全だったとはいえ、日本軍が南京に入る前は砲撃にやられる可能性はあったし、入ってきてからは、もう日本兵たちは完全に無秩序状態だ。いやほんと怖いです。この人の(また、ともにとどまって国際委員会に参加した他の人々の)勇気は、ほんとうに賞賛に値するものだと思う。会社からは帰れと指示されていたこともあるし、逃げる理由はいくらでもあり、とどまる理由はほんとに人道的なものでしかなかった。文句なしのヒーローです。

1998/3/25

 『現代史の争点』で、秦郁彦は、この本を肯定的に評価している。ただし、資料として新しい情報はほとんどないとのこと。

1998/6/3

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